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YPAMフリンジ「流動キッチン」〜死者との『関係性の美学』考

年の瀬、アジアを中心とした演劇がやってくるYPAMで、漫画の『美味しんぼ』のような出来事に遭遇したのでその顛末を書く。

場所はキッチンが併設され、レジデンスとしても使用されている黄金町スタジオ。12/8の昼12時。僕が着いた時には、すでにシェフを中心とした3人が厨房で子豚の調理をしていた。

マカオフリンジ2017で初演され、アーティスト自身がシェフとなって観客のご飯を作りながらパフォーマンスをする枠組みの上演らしい。しかし、僕が参加した回はアーティストではなく、本物のマカオのシェフ、馬央がパフォーマーだった。

続々とテーブルについていく観客も半数以上が中華系の方々で、中国語と英語が混ざる中、主宰の鄺華歡 (Erik Kuong)から、食前酒のポルトワインに何を入れるかを選択するよう促されながら「流動キッチン」についての説明が始まる。選択は「レモングラス」「ローズマリー」「ミント」のどれか。僕は「レモングラス」を選んだ。

Erikはアジアを中心としたコンテンポラリーダンス、演劇のプロデューサーで、同僚のパフォーマーと、それぞれの地元のお酒の話をして盛り上がったことがきっかけでこの作品ができたらしい。中国における食中酒がイマイチ、ワインや日本酒の進化に追いついていないというか、美味しい中華の食中酒(紹興酒?白酒?)があったら教えて欲しいと思ったのだが、僕の英語力では聞くことはできなかった。出てきたポルトワインが、イングランド人が普通のワインと、ウィスキーを、航海中に割って混ぜてしまったことから生まれた話を聞きながら、昼からお酒を飲めることに感謝していた。

和やかに食事が進む中、Erikは同じ中華系でも、北京、香港、マカオ、台湾というそれぞれのルーツは多様で非常に複雑だという話を始めた。シェフのAntonieta Manhao 馬央も、自分の名前をフルネームで名乗りながら、ポルトガルと中華系の両方をルーツに持ち、「Macanese(マカエンセ)」と呼ばれ、彼らの言語「Patua macanese(マカオ語)」はポルトガル語、マレー語、広東語、スリランカ語が混ざっている、クレオール言語である話を始めた。このマカオ語を流暢に話せる人は50人以下と言われ、その食文化は、大航海時代の中継地点のインドのゴアのターメリック、マレーシアのマラッカのココナッツ、そして、マカオの中華が複雑に融合しているそうだ。現在のマカオはカジノで有名だが、物々交換でこういった食材が交流していた豊かさもまた、マカオにはあったらしい。

ここまでは、まるで絵に描いたようなニコラ・ブリオーのいう「関係性の美学」そのものであり、観客とパフォーマーはお互いのルーツに関して、ある程度の距離感を保ちつつ、その文化に触れていく。「関係性の美学」で触れられているタイの芸術家のリクリット・ティラバーニャが振る舞ったように、初めての食文化に触れ、クレア・ビショップが「敵対性の美学」がなく、端的に「ぬるい」と批判したようなそれだった。ティラバーニャの振る舞ったカレーには、レッド(下層階級)、イエロー(王室、及び上流階級)の政治的な意味合いもあったらしいのだが、ビショップも、ブリオーも、タイの政治など興味がないのだから仕方がない。バトル・オブ・ブリテンの空中戦の話だ。

始めの食前酒の選択の「レモングラス」「ローズマリー」「ミント」になにかあるのだろうか。

と考えを巡らせていると、ターメリックと、ココナッツと、中華が合わさったシーフードカレーがサーブされる。インドでもなく、タイでもなく、マカオのカレー。ココナッツでなめらかに食べやすい。

デザートはイチジクのゼリーだった。
シェフの馬央いわく、このゼリーは、母親が残したレシピ通りに何度作ってもその味の再現ができなかった。しかもこのイチジクの葉っぱから作るゼリーは、ただでさえ手間がかかる。馬央が作らなかったら消えてしまうこの料理は、最終的にイチジクの実を青いまま2つ入れることがその隠し味であったことがわかり、彼女のブランドにもなっている。マカオ料理の第一人者は彼女ではあるが、今生きているお年寄りに聞けるうちに聞いておかないとダメなんだと彼女は強調していた。隣の席の女性のゼリーを食べる手が止まった。

たとえ古いレシピが残っていたとしても、レシピに書かれていないことがあったり、正しく伝承できないとその料理は二度と再現できなくなってしまう。

隣の席の女性は、小さく「My Mother's Taste.Same Taste」と言って、眼鏡の横から涙を数滴流していた。ナプキンを渡すと、眼鏡をとり、涙を拭いていた。彼女は馬央にもそのことを伝え、台中?をルーツに持つ方のようだった。

どのような経緯で、マカオと台湾という、別の土地の2人の母親が同じレシピで、イチジクのゼリーを作っていたのかはわからない。ただ、イチジクの葉っぱで作られたゼリーは薬膳の爽やかな味の後、甘味がほのかに広がる逸品だった。

死者との「関係性の美学」
そのような美学があるとしたら、まさにその上演だったように思う。僕が大学進学するときに親戚の中で、唯一進学を支持してくれた祖母が、タバコを吸いながら作ってくれたすき焼きの味を思い出した。


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