願いは、叶う?かな。 すがれるものは、占いでも。 我的愿望会成真? 可以吞噬的是算命。

みなさんは、叶えたいことってありますか。私はあります。

これまで、何事もなく生きてきたので、特に強く願うことって、なかったのです。もっと、ああすれば良かったとか、どうして、あの時、こうしなかったの?とか、友達や家族に言われたこともありました。

まあ、欲がないみたいです。自分では、気づいていなかったので、友人や妻から指摘された時は、「ああ、そうなんだ。」と思いましたが、それも時間が経つと、すぐ忘れてしまいます。

で、そんなふうに生きてきたのですが、最近、やっとのことで願い事が、できたのです。

それはですね。 ひとりでも多くの人々に英語とmandarin (華語)の両方を話せるようになってもらいたいのです。

海外在住時代に好きになった中国の時代劇の中で描かれている主人公たちの正義感とそれを支える周囲の人々のイデオロギー。

それに対立する敵役側の方にも正義感とイデオロギーが在るのです。主人公側にも敵役側にも同軸上での正義感とイデオロギーがあるんです。

これって、いわゆる日本の時代劇で描かれている主人公側のみの、勧善懲悪という形式のパターンに見慣れていた私にとっては、新鮮に映ったのです。

そして、英語は、日々仕事で使っていたのですが、業務指示を伝えることが現地の社員に対して、日本語で出す時よりスムーズになることに気づいたのです。

翻って、指揮系統や命令系統の意識づけが容易にできることにも気づいたのです。もちろん、その根底には、日本の会社組織には、ない社員個人の業務所掌とそれに付随する裁量と責任の範囲が明確になっているということがあったのですが。

という訳で、海外時代に日本の会社組織の中だけにいたら、体験出来なかった華語と英語の影響で、自分の中での価値観とか視野に変化が生じたのでした。

でも、実は、その変化を身につけた分、無くしてしまったものも、あったのです。そのことに気づいたのは、帰国後数年経ってからでした。

それは、何?だと思いますか? それは、忖度(そんたく)に代表されるような、相手の意を汲むという、日本社会独特のものだったのです。

一度、無くしたものを取り戻すのは、大変難しく、今でも苦労しています。

こういう代償を払って、それでも、私が日本人の華語と英語を身につけることを推奨するのは、以下の理由によるのです。

これからの日本人は、個人レベルで、もっと発信することが大事だと思うからです。なぜ?そう思うかと言うと、外国人が持っている日本人に対するイメージが古いからです。

もっともっと、本当の、今の日本人を世界中の人に向けて発信して、リアルな日本人像を伝えることが大事だからです。

対等な立場で世界の人達とコミニュケーションする事で、これからの日本社会に必要なことが、見えてくるからです。

Homogeneous (同種)の考えを持つことが求められる日本人が、自分を基軸とした考えを華語や英語で発信する。

それに対して世界からコメントが寄せられる。それらを繰り返して日本人も多様な思考や価値観の存在を認めた上で、どう対応するかとの判断ができるようになると思うのです。

とまあ、私は、こう願いたいのです。荒唐無稽?な話しなので、実現することが可能がどうか占ってもらうかと思う今日この頃です。





いいなと思ったら応援しよう!

ヒロ-シン
よろしければ、サポートお願いします。今後の創作に役立たせて頂きます。一人でも多くの方に向け学びの場を発信出来ればと思っております。