英語とmandarin(中国語)を実際に小学校から学ぶ海外の事例
私自身、一時期、この国で、暮らして子育てをしておりました。もちろん、私はただの会社員でした。
当時、子供の入学にあわせて、夫婦であちこちの学校に行きいろんなことを問合わせて学校選びに時間をかけて準備したのでした。
今回、私自身が経験したことを、上手に解説されている記事をたまたま見つけたので、紹介させて下さい。以下の記事です。
このときの経験から、今わたしが進めている日本人のmultilingual化の構想は出発しているのです。
言葉は、間違いなく、その国の文化を内包しているのでしょう。私が、かつて会社員として働いたシンガポール共和国やマレーシア連邦や中華人民共和国。
そこで、居住して働き体験したことがらは、どの国も日本のそれらとは異なっていました。
今、私が進めたいと願っている日本人のmultilingual化は、ひとりでも多くの日本人に自主独立の選択肢を与えたいとの想いからです。
もちろん、日本の国内で、日本語以外の言葉が通用出来るようになれば、日本文化の維持に影響が出るのは、避けられないでしょう。
当然、その影響は、文化のみならず、人々の生活様式や働き方等々さまざまな面にも波及するでしょう。
結果として日本社会の変化につながるでしょう。
変化とは、私達が望むようには、ならないのが常です。
でも、それでも、私が日本社会の変化さえも恐れずに日本人のmultilingual化を進めたいとおもうのは、何故でしょうか?
その答えは、かつて日本にあったことを取り戻すためには必用だからです。
かつての日本及び日本人には、独立性があったと記憶しています。
バブルがはじける前の1986年から2005年迄が私が海外に居た時期です。(途中ビザの関係で2年ほど一時帰国していますけど。)
ちなみに中華人民共和国は、2007年から2009年の春迄居ました。
上記の期間日本にいなかったので、バブル崩潰以降の日本の厳しい現実を体験していません。
企業も生き残りの為とは言え、かなりの人員削減やら新規雇用の中止やら大変厳しいことを行ったと聞いています。
そのせいでしょうか、帰国して感じる日本全体のイメージは、昔のものとは違うものでした。
この相違点に関しては、別の記事で、投稿します。
本題をかつて日本社会にあった独立性に戻しますね。
日本の歴史を振り返っても、中央政府とは別に各地域に独自のものがあったのでは。
いわゆる、村社会が日本文化の基礎?とおもうのですが。この仕組みが上手く行くかどうか大事なのでは。
私は、日本人のmultilingual化を通じて、開かれた村社会を構築して、現在の日本社会に応用したいと願っているのです。
そのためには、日本人がmultilingual化してITリテラシーも身につけてからの生まれ育った所でも、都会でも選択肢が与えられて、同じ報酬を得られるリモートワークでの勤務を実現させたいとおもうのですが。
私が生きているうちの実現は難しいでしょう。でも、都会でも地方でも住む所が選択出来て、収入格差がない社会を作ることが出来れば、日本は再び魅力ある国になれるとおもうのです。
ということで、日本人にとって独学でも、英語、mandarin(中国語)が身につく勉強方法を考案して行きます。現在、諸事情で滞っている動画も配信を再開すべく準備しております。出来上がりましたら、このnoteの中で報告します。