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今いる所はどこなんだろう

Stay home が続き心の安定がより求められる今日この頃。自分で自分を律しなければと思うのですが。思った程自分は強い人間では。。。と呟きたい言葉を飲み込んで自分の行動指針の修正に取り組む毎日です。

将来への不安が湧き上がる度にそれを打ち消す。それを繰り返しながら、この休暇を過ごしています。幸い、4月から新しく勤務している職場は、ずっと営業しており、取引先の休みに合わせてこの7日から再開です。

そういう意味で今回の転職、我が家のカミは、喜んでいます。彼女は、自治体が運営する組織で、非正規?(非常勤職員)だったのですが、3月でその契約も終わりました。パート勤務でもと就活したのですが、今回の騒動で見つからず、ようやく来週から短期のが決まったようです。

夫婦2人で慎ましく暮らしているだけなのです。家事の分担もお互いにカバーしあっています。ですから、最近の自宅待機で旦那が妻にDVする事例が増えたというニュースを見て夫婦で驚いています。

こんなときこそ夫婦の絆が大事では。日本の男って、こんなに弱い?正直、驚いています。男たるもの、弱いもの、まして家族を大事にせねばならないのでは。働くことは、大変です。でも、それを理由と言うか、言い訳として家族を大事にしないのは、もってのほかです。

この言葉は、過去の自分の反省も込めて述べています。10数年以上も前の新婚当初、中国への単身赴任で家の事は、カミ(その当時は妻の名前で呼んでました)さんと義理の母(彼女の母親)に任せきりでした。

それでも、カミさんは、年に数回は、飛行機で中国語もできないのにわたしの赴任先に来てくれました。会社の規定で家族の飛行機代は、1往復分しか出ないので、彼女は、地元の百貨店でアルバイトをしてその費用を捻出してました。

その後、勤務先である会社が東京本社と中国工場とセットで売却されて、わたしの失業となり、カミさんの母親が認知症の兆候である徘徊が出たのが丁度同じ時期でした。 それで故郷に戻りました。 海外が長く若くもない私にとっては、田舎の組織体制から何から何まで違和感があり、当然再就職は難航しました。

まあ確かに、男としては安定感に欠けた人生でした。それでも彼女は、私を見捨てずに。。。夫婦として今に至っています。これから先は、でき得る限り働き人生を過ごす予定でした。

でも、今年、このような緊急事態となりました。この事態が終息する頃は、以前とは異なるワークバランス環境になるでしょう。実は、海外で勤務している頃から日本は海外とは違うので日本式(その昔、揶揄された日本護送船団とか日本株式会社のこと)のやり方を変えるべきだが、それは慎重に行うしかないと思っていたのです。

でもまさか、こんなに早くそういう局面に遭遇するとは。明治維新のきっかけとなった黒船来航のように感じています。で、私自身腹を括ったのです。地方に住む者達は、現状以上の経済的な困難を受け入れ続けることはできないと。

今後地方では、一人一人の意識改革が必須となります。年齢性別の制限を取り払って優秀なリーダーの元でこの難局を打開しなくては。

長年、地盤産業の弱い地方は、大都市への労働者の提供元となってしまいました。その結果、残された地方の零細な産業は、後継者不足で消滅し続け、若者が地元に残りたくても、その選択肢が公務員以外、ほぼ無い状況となりました。

本来なら、地方をここまで疲弊させた国が、地方再生のために音頭をとり、各地の事情に沿って人材と資金面の両方の支援をするべきなのですが。

もう、その時期は、逃したようです。名も無い我々のような民間人が団結して事を進めないと地方は、遠からず、北海道の十勝で起きたような財政破綻や、限界集落へと突き進むことでしょう。

財力を持つ政治家が地方に居れば、その方達の支援を得て、経済基盤を立て直すことも可能ですが、それほどの堅固な財力を持つ政治家が居る地方はあまり無いでしょう。

さて、ここからが本記事の本題です。冒頭で述べたように日本の男達が自分を活かして働けるような場を創設することを考えております。

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