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フラッシュバックとの向き合い方
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
とても久しぶりの更新ですが、
今回はフラッシュバックについて取り上げたいと思います。
夏の間、同業者の友人と会う機会があり、
その友人とそれぞれの仕事の話になった時、
話が広がって、「毒親」が話題になりました。
もちろん、友人たちは何の悪気もないですし、
私もその場ではそれが自分のトラウマに触るとは思わず普通に話していたのです
久しぶりの傷つき体験とそこから得られた気づき
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
私は、今も、より幸せな人生を目指して自己探求と実践を継続しています。
生きていくなら、この自分で生きていく他ありません。いくら他人に憧れようとも他人になることはできない、それであれば、この自分で生きていくために、いかに色々なことを自分にとって最適化できるか、ということが鍵だと思っているからです。
また、子ども時代本当に辛くて消
自分への愛を育む方法~心身をいたわり、育てることについて~
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は、自分への愛を育む方法について書きたいと思います。
そもそも、毒親育ちの方たちの中には、「自分を愛する」という発想自体、ない方もたくさんいらっしゃるかもしれません。
私も、10年くらい前まで、自分を愛するという発想はありませんでした。
自分は好きになれない存在、
自分は取るに足らない存在、
自分は常に他の人の犠牲になる存在
毒親育ちと親になること
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は、毒親育ちと「親になること」
について取り上げたいと思います。
毒親育ちの皆さんの中には、
子どもをもつことについて、
悩んでいらっしゃる方が多いと思います。
その中で多いと思われる悩みについて、
私自身の経験やそこから得た考え等を紹介しながら、
考えていきたいと思います。
1 子どもを考えた時、毒親育ちが悩むポイント
毒親育ちはまず「幸せ」に慣れるところから始めよう
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は、
毒親育ちはまず「幸せ」に慣れるところから、
というテーマで書きたいと思います。
私は、自分の人生を取り戻す上で、
「幸せ」を一つのキーワードにしていますが、
「幸せになる」ということは、
実は結構難しいことだったりします。
なぜなら、そもそも「幸せ」を知らなければ、
「幸せになる」ということはできないからです。
毒
自分は毒親育ちかも…と思うなら、この先止めた方がよい行動
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は、
自分が毒親育ちかも…と思うなら
この先止めた方がよい行動について、
書いてみたいと思います。
普段からたくさんの相談を受けていると、
弁護士目線で、
この行動をとらなければトラブルがここまで大きくならなかったかもしれない…
と思うことが多々あります。
もちろん、人間、あらゆることを予測するのは無理で、
だいたいの物事
取材協力した「ふがいないきょうだいに困ってる」、まもなく発売されます。
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は先日取材協力させていただいた本のご紹介とともに、
本のテーマとかかわる「機能不全家族におけるきょうだい」について、
取り上げたいと思います。
1 本のご紹介
先日、著者の吉田潮様からお声掛けいただいて、取材に協力させていただいた書籍が、まもなく発売されます。
タイトルは、「ふがいないきょうだいに困ってる」です。
副題は、~
毒親育ちが悩んだ末にたどりついた「愛」の定義
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は、「愛」について取り上げたいと思います。
ふだんなかなかゆったりした気持ちで記事を書くこともできないので、
今日は、家族のことを想いながら、
「愛」について書きたいと思います。
私にとって「愛」とは、
人生において渇望し続けてきた対象であると同時に、
日々修行のように向き合いながら、
能動的に実践しているものでもあります
「死にたい」という気持ちを受け入れること
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
今回は、
表題のとおり「死にたい」という気持ちを受け入れること
についてとりあげたいと思います。
毒親育ちの方にとって、「死にたい」という気持ちは、
わりと身近なところにあるのではないかと思います。
私にとっても、そうです。
最近では本当にそう感じる頻度は下がりましたが、
それでも自分の中に内包している感情で、
何か過去のことに
子ども時代の自分に対して、今してあげることはあるだろうか。
このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。
前回の記事「傷ついた自分との対話」において、
子ども時代の自分に対して何もしてあがられないことを
悔しい・申し訳ないと思っていることを書きました。
私自身、これまで意識していたわけではありませんでしたが、
目の前に、傷ついた幼少期の自分がいるとイメージしたとき、
自然と、「何もしてあげられなくてごめんね」という言葉が
出てきたの