吉田塾の理念[勉強を人生に活かす]
当塾の理念について、新聞折り込み広告を再構成し、内容を補足しながらお伝えする。
これは定型のキャッチコピーではあるが、これから出会うことになる皆さんに対する私の強い思いを表している。
皆さんにはぜひ自分の夢を叶えてほしいと切に願っている。
次にご挨拶文。
私の願いは理念①に尽きる。
勉強を人生に活かしてほしい。
その一念だ。
具体的内容を以下に述べていく。
[1] 毎月定額料金制
サブスクリプション形式を採用。
一般の塾・予備校では、学年や科目によって受講料を変動させ、コース設定もあえて複雑にすることが多いが、当塾では一律定額としている。
また金額面についても、個人経営・オンライン中心という、人件費・設備面での優位性を生かし、より多くの人に受講してもらいやすい設定にしている。
すべての子どもたちに最高の教育を提供したい。
そういう思いで、この塾を運営している。
[2] 科目は自由選択制
受講科目は相談のうえ決定する。
もちろん全科目受講していただいて構わないのだが、一人ひとりの特性を見極めながら、それぞれに無理のないカリキュラムを組んでいく。
昨今はゆとり教育の反動もあるのか、とにかく沢山勉強させればよいと単純に考える保護者も少なくないが、オーバーワークは当然よくない。
当塾では「よく学び、よく遊べ」をモットーに、必要最小限の勉強で成果を出せるよう指導する。
残りの時間は「自分のやりたいこと」にしっかり時間を充ててほしい。
自分の趣味。
自分の目標。
自分の好きなこと。
将来の自分を形作る大切な作業であるから、自分の責任でしっかり充実させてほしい。
もちろん塾が最大限サポートするし、そのための仲間も塾にはたくさんいる。
塾での指導は私が全科目担当する。
それが最も合理的だからだ。
一般的な塾・予備校では科目分担制がとられるが、うまく連携することは難しい。
担当の全員が有能であることはまずないし、自分の科目の手柄を焦って暴走する輩もいる。
生徒には科目ごとの得手不得手もある。
本来的に、試験は総合点の勝負だから、その生徒の得意分野・苦手分野をバランスよく伸ばしてあげることが最も効率良い指導である。
得意な科目はどんどん伸ばしてあげればよいし、苦手な科目はほどほどに補ってあげればよい。
本人に適正な努力をさせることはもちろん大切であるが、苦手なものを無理やり勉強させても、伸びないものは伸びない。
私たち指導者は、まず何よりも「ひとりの人間」として生徒に向き合うことが第一なのであって、その個人全体のバランスを見ながら、総合的に指導を進める必要がある。
以上の理由から、当塾では私ひとりで全科目を指導している。
もっとも、私ひとりで全て担当するからには、私の「指導者としての質」が全面的に問われることになるので、私に指導をご依頼の際は、私に全幅の信頼を置いていただく必要がある。
私としては、自己研鑽を怠ることなく、お子様・保護者様の信頼に応えるべく日々精進を重ねているつもりである。
指導内容・指導レベルは、生徒・保護者と事前に打ち合わせし、一人ひとりの能力に合わせながら、少しずつ段階的に作り上げていく。
当塾では、生徒に上から一方的にテンプレートを強制する「トップダウン方式」ではなく、下から積み上げて共に作る「ボトムアップ方式」の指導を行う。
生徒一人ひとりの能力に対応させながら全体を作り上げていく作業は、口で言うほど簡単ではない。
指導者の臨機応変な対応力と真の実力が要求される。
当塾では、生徒自身に自分の課題を見つけさせ、自分で目的を持って勉強に取り組んでいく方向性で指導を進めている。
上から言われたことを忠実にこなすだけの日本人にとっては馴染みにくい方式であるかもしれないが、当塾でパラダイムシフトを起こしてほしい。年齢が若ければ若いほど柔軟に対応しやすい。
「小学生の漢字をイチから覚え直そう」
「計算を九九からやり直そう」
「英単語から覚え直そう」
「数学検定にチャレンジしよう」
「高卒認定試験を受けて大学に行こう」
どんな基本的内容でも構わないので、一人ひとりがそれぞれの目標を見つけて自主的に取り組んでもらいたい。
当塾が最大限のサポートを行う。
なお、定員について特別に定めてはいないが、「私の納得いくレベルの指導ができる人数」が限界となる。
ネットには無限の可能性があるので、様々な機能を駆使して、できるだけ効率よく指導できるよう工夫していく。
今後は様々な仲間たちにも協力を仰ぎ、様々な指導の形を模索していきたい。
[3] 副教科対策
定期テスト1週間前は、副教科の暗記練習を行う。
公立中学生が公立高校を目指す場合、内申点が非常に重要であるので、副教科もしっかり得点しておく必要がある。
子どもたちにはその重要性をいつも口酸っぱく諭しているが、いざ試験を迎えると、一夜漬けどころか、何も勉強せず試験に臨むことすらままある。
したがって、当塾では試験1週間前から暗記練習をコントロールするようにしている。
子どもたちに暗記させる時間を強制的に確保するだけで、得点はかなり上がる。
もちろん、塾として副教科の暗記方法とテクニックを細かに指導する。
[4] 不登校生歓迎
「弱者に寄り添う」が私のモットーである。
「勉強したい」「成長したい」と願う子どもたちに手を差し伸べ、できる限り掬い(すくい) 上げたいと考えている。
子どもたちは皆それぞれがそれぞれの能力を持っているので、基本的な「読み書きそろばん」を鍛えることで、一人ひとりの能力の底上げを図りたい。
そうすることで、より良い社会の実現に少しでも繋がる。
しかしながら、実情はかなり厳しい。
私の声が届かない子どもは多い。
そもそもやる気のない子どもはどうにもならない。
周りの大人が足を引っ張ることも多い。
「子どもだけ幸せになることは許さない」とばかりに難癖をつける親もいる。
不登校の子どもたちに実践的な勉強を指導し、充実した人生の一歩をスタートさせてあげることで、その周りの大人たちにも明るい影響を与えたい。
義務教育の基本的な勉強などは、教える人が教えれば誰でも簡単に学ぶことのできる「イージーモード」だ。
ぜひ子どもたち皆で分かち合いたい。
朝や昼の時間も使って、その輪を広げたい。
オンラインだと通塾の手間も省けるし、誰でも手軽に勉強できる。
ぜひとも皆に勉強の楽しさ・面白さを伝えたい。
[5] 読み書き算盤の徹底
私は「優しい先生」として見られがちだが、勉強に関しては厳しい。もちろん怒鳴りつけたりはしないが、勉強に関しては徹底して基本を叩き込む。
どの分野でも同じことである。
基本の徹底こそ真理。
子どもはどんな手を使ってでも手を抜こうとするものである。
講師も親も絶対に譲ってはいけないラインがある。
大人たちが一致団結して子どもを育てなければならない。
[6] 最高レベルの指導
私の講義は、話し方も穏やかだし、子ども向けに内容を噛み砕くので、一見レベルが低く見られがちだが、全くの誤解だ。
「簡単に説明すること」こそが、一番難しいのである。
幼稚園児や小学生でも簡単にわかる説明の仕方でどんどん進んでいくうちに、東大・京大の問題が解けるようになっている。
この感覚は、頭が固くて伝わらない人には伝わらないので、もどかしいところではあるが、それが真実だ。
例えば、これらの本を読んで練習するだけで、東大の数学・現代文は確実に合格点を取れる。
語り口は平易で、文字は大きく、紙面の余白も多く、読みやすいことこの上ない。
しかも、テクニックは簡単で使いやすく、それらを丁寧に実行するだけで容易に解けるようになる。汎用性も高い。
本当のテクニックとはこういうものをいうのである。
私はこのレベルで小学生に講義をしている。
誰が聞いても当然の、当たり前のことしか言っていないように聞こえても、それらは常に東大・京大へと通じる真理に裏付けされている。真理はシンプルだ。
とはいえ、講義内のほとんどの時間を、子どもたちと冗談を言いながら戯れて過ごすことも多いので、なかなか説得力を持たないところが残念ではあるのだが、私の他のブログでもレベルの高いことを書いてあるから、読む人が読めばお分かりいただけるはずだ。
[7] 漢検・英検・数検の活用
漢検と英検については、別のブログで詳しく述べているので参照されたい。
当塾では「弱者に寄り添う」とか「勉強を楽しむ」とか、高邁な理想を掲げているが、実は「現実的な利益」こそを最も重要視している、ということは強調しておきたい。
「目に見える結果」を出さなければ淘汰されるのが資本主義社会の鉄則である。
仮に東大を出たからといって、その全員が必ず素晴らしいのかといえば、そんなことは官僚の「体たらく」を見れば一目瞭然であるのだが、やはり東大出身だと世間一般の信用は得やすい。
ホリエモンこと堀江貴文はその理由から、東大の中で一番入りやすい文学部に入って、すぐ中退している。
私にも一応京大出身という身分があるから、こんな好き勝手な文章を書いても一応皆様に読んでいただける。
たとえ東大・京大を出たとしても、結局のところは「そのあと」が大切であることは言うまでもないが、「最初の看板」という意味では非常に有効な武器となる。
医師や弁護士などの国家資格から民間のマイナーな資格に至るまで、日本には様々な資格が存在するが、これからの生き馬の目を抜く厳しい世の中をしぶとく渡り切るためには、できうる限り自分に有利となる資格を取得しておくことも大切である。
当塾では、そのような文脈の中で「英検・漢検・算検・数検」を位置付けている。
一定以上の級を持っていると、入社面接でアピールできたり、入学試験で加点要素にカウントされたりという「実利」が得られる。
人間というものは、やはり目先に実利があると頑張れるものだ。「この資格を持っておくと得だ」と思えば勉強の苦労にも耐えられる。「鼻の先のニンジン」をぶら下げることでエネルギーが湧く。
「人生を生き抜くための力強さ」を子どもたちには与えてあげたい。
「検定に合格する力」を塾で身に付けておけば、将来的な資格取得に役立つ。
「自分で勉強する力」を塾で身に付けておけば、将来的な起業に役立つ。
「何のために勉強するのか ? 」という定番の質問があるが、「人生を有利に生きるため」「変な苦労をしないため」という答えが最も説得力を持つのではないだろうか。
「人生をよりハッピーに生きるため」に勉強するのだ。
子どもたちには、勉強の学問的な面白さを知ってもらいたいのはもちろんであるが、「自分が充実した人生を送るため」に勉強するのだという視点もぜひ持っておいてもらいたい。
なお、人間性のベースとなる語彙力・思考力・情緒・コミュニケーションなどといった「基本」を指導することも決して疎かにはしない。
国語の授業を通して、本の音読練習・漢字練習・四字熟語・諺・慣用句・日本の伝統文化などの教養を高めることを忘れない。
算数の授業を通しては、基本的計算力だけでなく、論理的思考力・推理力・空間認識力などの IQ 能力も養っていく。
これらの能力を鍛えることの重要性は、子どもにも保護者にもなかなか伝わりにくいものではあるが、勉強のベース・人間力のベースとなる基本的能力であるので、数年後・数十年後に花咲くことを期待して、日々種を蒔いていく。
一方で、漢検・英検・算検・数検は、指導を進める際に生徒それぞれの進捗状況が目に見えやすく、目標点数もはっきりしているので、皆で切磋琢磨させながら成長を促すことのできる格好のツールとなる。
子どもの成長には「競い合うライバルの存在」が欠かせない。
運動会の徒競走で順位をつけない学校があるとかないとかの話をよく耳にするが、その賛否はともかくとして、子どもたちが「競争を好む」のは紛れもない事実である。
もちろん、差別や偏見を助長しないように指導者がうまくコントロールする必要はあるが、「子ども」はみんなで切磋琢磨しながら競争しあってこそ成長できる生き物であるということは、私の20年以上の講師経験から断言できる。
健全な競争は、健全な成長を生む。
健全な目標を立てて、みんなで励まし合いながら、より高みを目指す。
一人ひとりが自分の目標を立てて、自分の能力に合わせて努力する。
それが「みんなで生きる喜びである」と私は考える。
[8] 社会見学・体験学習
勉強というのは、何も机上の学問だけに限らない。
遊び・運動・音楽・絵画・工作・料理・農業・手芸・工芸といった、ありとあらゆるものが「学び」となる。
「面白い!! 」「楽しい!! 」という「感動」こそが学びの原動力になることは言うまでもない。
塾では1、2ヶ月に1回のペースで、何かしらのイベントを企画し、みんなで楽しむ機会を作っている。
普段はオンラインで勉強している仲間たちが、実際に会って交流を深める大切な機会にもなる。
一度でも二度でもみんなで実際に遊ぶ経験をしておくだけで、普段のオンラインの勉強における熱量が全く変わってくる。
子どもたちだけでなく、様々な大人たちとの交流を深める契機にもしたい。
すべての大人が「人生の教師」である。
それぞれの専門分野を持つ大人たちが、現場で実地に教えるも良し、オンラインで特別講義をするも良し、様々な「学び」を皆で分かち合いたい。
イベント終了後には、宿題として「絵日記」「レポート」を書かせている。
自分の体験と感動を絵や文章に表現する作業はとても重要である。
皆で感動を共有したい。
[9] 代表プロフィール
私の略歴と人生哲学をご紹介する。
どんな分野においても「生まれつきの才能」というものは存在する。
ロザン宇治原も言っているが、私も小学校では周囲との違和感を感じざるを得なかった。
「生まれつきの才能」は無自覚なものなので、なぜ自分が他人より「できる」のか分からない。
中学入試にチャレンジし、あまり苦労することなく地元の名門校に合格するが、そこからは常に中位。
まさに「十で神童、十五で才子、二十 (はたち) 過ぎれば只の人」である。
「学校の勉強だけしていればよい。予備校など行く必要はない」という高校の先生の言葉を真 (ま) に受けて、素直に勉強を続けたが、全く成績は伸びなかった。
進学校では東大・京大を目指すのが当たり前なので、志望校のレベルを下げることで、私は劣等感の塊となってしまった。
それに加えて、そのレベルを下げた大学にすら落ちて、私は強制的に浪人することになるのだが、その時のメンタルの落ち具合は酷かった。
周りの友人たちが大学生活を謳歌する中、自分だけが「人非人 (にんぴにん)」として、世の中から隔離される。今となっては良い経験だったと言えるが、本当に苦しかった。
代々木ゼミナールでのカリスマ講師との出会い、先ほど紹介した名著との出会いにより、私は急成長を遂げ、京都大学法学部に合格した。
関関同立の法学部もすべて合格。過去問などの勉強を何もすることなく、余裕でパスした。「これは確実に受かる」と思いながら本番の試験を受けていた。
センター試験の得点だけで選考する方式で出願した近畿大学はトップ合格。万が一のための滑り止めだったが、一番最初に届いた合格通知であったので、その喜びはひとしおであった。今でも忘れない。
当時は勉強の筋肉を鍛えに鍛えまくっていたので、センター試験などは何回受けても9割以上取れる自信があった。人間若い時はそれくらい研ぎ澄ますことができるのである。今の若い世代はとかく甘やかされすぎだ。人間やればできる。
この時の成功体験が今の私を支えている。
勉強ができるようになり、テストで高得点を取ることができるようになると、学ぶことが本当に楽しくなった。
勉強はこんなに簡単なのか。
こんなに楽しいのか。
こんなに面白いのか。
その感動は今でも忘れない。
その感動をみんなに伝えたい。
私はその一心でこの仕事を続けている。
学生時代のバイトで家庭教師をした。
家庭教師は色んな科目を教えることが多いので、自然と全部の科目に興味を持つようになった。
そうすると、各科目の繋がりが見えてきて、「学校の勉強もなかなか捨てたものではないな」と感じるようになった。
この面白さを伝えたい。
世界の繋がりを伝えたい。
世界の広がりを伝えたい。
それならば「全部自分で教えてしまおう」というわけで、自分で学習塾を開くに至るのである。
[10] ダ・ヴィンチのように
大抵の塾・予備校では、専任の科目が決まっていて、講師それぞれが専門的に精進して指導の質を高めるのが通常である。
それももちろん素晴らしいことではあるが、「科目横断的に学ぶ楽しさ」を私は重視したい。
私の1科目1科目の指導水準は、専任のカリスマ講師と比べれば100点ではなく、それぞれ70〜80点くらいであるかもしれない。
しかし、私が各科目それぞれの特徴を横断的に組み合わせることにより、「ミクロでは味わい得ないマクロの魅力」を皆に伝えることができれば、各科目の魅力は何倍にも膨らむと考えている。
もちろん、各科目それぞれをより専門的に勉強したい人は、専門知識のある先生に師事すればよい。
私としては、まずは勉強全体の面白さ、世界全体の面白さをまとめて伝えたいというのが第一であるので、その「全体性の面白さ」に興味ある人は、ぜひ私と共に勉強してほしい。
たとえそれぞれが70〜80点であるとしても、全部がそれ相応のレベルに達している自信はある。
なにより、全部の科目を楽しく、興味深く取り組む情熱だけは誰にも負けない自負がある。
子どもたち一人ひとりが、それぞれの得意分野に応じて、楽しみながら、面白がりながら、みんなで一緒に成長する喜びを感じながら、学んでいってほしい。
私に賛同してくださる方々は、ぜひみんなで、大人も子どもも一緒に学びを進めてほしい。
そして、それぞれの人生に勉強を役立ててほしい。
ご参加お待ちしております。
長文お読みくださりありがとうございました。