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開高健の言葉
昭和を代表する小説家、芥川賞作『裸の王様』をはじめ、『パニック』『日本三文オペラ』『流亡記』、闇三部作『夏の闇』『輝ける闇』『花終る闇』、エッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』とした作品が多くの人に影響を与えている、開高健(1930 - 1989)による言葉をまとめました。
開高健の言葉は、ベトナムの戦場、ブラジルのアマゾン川での釣り、食・町・お酒など、人間に関わる様々なことに興味があり、彼の豊かな人生経験、深い思索、洞察力、表現力から生まれたものである。没後35年経った今でも色褪せず、多くの人々に感銘を与えている。
漂えど沈まず。
悠々として急げ。
毒蛇は急がない。
たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える。
朝露の一滴にも天と地が映っている。
私は人間嫌いのくせに、人間から離れられない。
教えるものが教えられるのが、教育の理想である。
おだやかになることを学べ。
心に通ずる道は胃を通る。
心はアマ、腕はプロ。
釣りの話しをするときは両手を縛っておけ。
釣師と魚は濡れたがる。
人の一生の本質は二十五歳までの経験と思考が決定する。
大人と子供のちがいは 持っている玩具の値段のちがいだけである
成熟するためには遠回りをしなければならない。
自然を温存するためには人間は謙虚にならなければならない。
生まれるのは、偶然。生きるのは、苦痛。死ぬのは、厄介。
人は昨日に向うときほど今日と明日に向っては賢くなれない。
遠い道をゆっくりと けれど休まずに歩いていく人がある。
海を愛するのは賢者であり、山を愛するのは聖者である。
入ってきて人生と叫び 出て行って死と叫ぶ。
字は病いや毒から分泌される。そして、人を病ませ、毒する。
文学はファッション・ショウじゃない。古いも新しいもない。進歩も退歩もない。わかりきったことじゃないか。
顔のヘンな魚ほどうまいものだよ。人間もおなじさ。醜男、醜女ほどおいしいのだよ。
無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。
右の眼は冷たくなければならず、左の眼は熱くなければならないのである。いつも心に氷の焔をつけておくことである。
かくて、われらは今夜も飲む、たしかに芸術は永く人生は短い。しかしこの一杯を飲んでいる時間くらいはある。黄昏に乾杯を!
二十五歳までの女は自分だけを殺す。三十五歳までの女は自分と相手を殺す。三十五歳以後の女は相手だけを殺す。
臆病はしばしば性急や軽躁と手を携えるものだが、賢明は耐えること―耐え抜くことを知っている
人はみな、弱さの中に強さを持ち、強さの中に弱さを持っている。
戦争は人間の持つ最も愚かな行為だ。だが、愚かだからこそ、人はそれを繰り返す。
生きることは、過ちを犯すことだ。そして、その過ちをどう修正するかが重要だ。
人間は、自分が思うよりもずっと強い。そして、自分が思うよりもずっと弱い。
何かを得れば、何かを失う、そして何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない。
われわれ作家仲間には、「話がうまくなると小説が下手になる」というジンクスがあります。小説家はあまりお喋りするな、講演なんか引受けるな、という教訓ですね。ですから今日のお喋りが下手なのは日本文学のためです。
部屋の中へ籠ってるとどうなるかというと、アムール・プロプルしかなくなってくる。自己愛。俺が、僕が、私が、という小説だけになってしまう。精神がブヨブヨの蒼白な肥満漢の内的独白になっちゃう。自分の足で自分の体重が運べないような蒼白な肥満漢になる。これじゃいけません。
外国語が読めても外国人のことはわからない。外国語が話せても、わからない。外国に住んでも、わからない。外国人を知るには文学によるしかない。それも一流の文学ではなく、二流の文学である。
サイゴンでは毎日のようにプラスチック爆弾が破裂して、大半は無告の民が死んで行くわけですね。キャバレーの女性のバラバラの肉体、血まみれの腸、目玉、太ももを忘れようとしても忘れられないけれども、いざ書こうとすると、道端のハイビスカスの花がどう揺れていたかがよみがえってくる。
以上