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【英語】英語力はしばらく使わないとどうなるのか 『英語力は劣化するってほんと?』

シンガポールの高層マンション。窓の外には、熱帯特有のスコールが容赦なく降り注いでいて、まるで世界が水の中に沈んでいくような錯覚に陥った。9日間の日本旅行を終えて戻ってきた僕は、まだスーツケースも開けずに、窓辺に佇んでいた。

体は確かにシンガポールに戻ってきたはずなのに、心はまだ日本のどこかに置き去りにされたままのようだった。それはまるで、古い蓄音機の針が、レコード盤の溝に引っかかって同じ場所をぐるぐると回り続けているような、そんな奇妙な感覚だった。

日本の風景、匂い、音、そして言葉。それらが、僕の記憶の中で、まるで万華鏡のように、鮮やかに、そして混沌と入り混じっていた。

渋谷のスクランブル交差点を行き交う人々の喧騒、京都の静寂な寺の庭、そして、温泉街に漂う硫黄の匂い。それらが、まるで映画のシーンのように、僕の頭の中で断片的に再生されていた。

そして、その断片的な記憶と共に、ある不安が、静かに、しかし確実に、僕の心を蝕み始めていた。それは、英語力の劣化に対する不安だった。

僕はインターナショナル企業に勤めているので、僕の周りには帰国子女が多い。そんな彼らが、まるで呪文のように繰り返す言葉。「英語は使わないと忘れる」。それは、僕にとって、一種の脅迫のようなものだった。

彼らは、子供の頃に海外で生活していた。いわば、ネイティブに近い英語力を持っている。そんな彼らでさえ、英語を使わないと忘れてしまうというのだから、僕のような、大人になってから苦労して英語を身につけた人間は、どうなるのだろうか。まるで、砂漠に建てられた砂の城のように、あっけなく崩れ落ちてしまうのではないか。そんな不安が、僕の心を締め付けていた。

日本へ発つ前は、仕事が忙しくて、毎日10時間以上は英語漬けの生活だった。クライアントとの電話会議、同僚との議論、そして、時には深夜に及ぶメールのやり取り。英語は、まるで僕の体の一部のように、自然に使いこなしていた。

それが、日本に滞在している間は、ほとんど英語を使う機会がなかった。友人との会話は日本語だし、テレビも日本語、街中の看板も日本語。まるで、英語という言語が、この世界から消えてしまったかのような錯覚に陥ったほどだった。

そして、英語から離れて9日目。

まだ休暇中とはいえ、少し急ぎの仕事が入ってしまった。30分ほど、インド人の同僚とオンラインで打ち合わせをすることになったのだ。彼は早口ではあるが、シンガポール生活が長いこともあって、僕にとって非常に聞き取りやすい英語を話す。

僕はエンジニアで、彼は営業担当。今回は、彼がある顧客の重役、そして僕とは長年の付き合いのある上客に、新しい提案をすることになっていて、今日はそのためのシミュレーションだった。僕にとっては、休み明け初日にその重要な商談のサポートに入ることになっていたので、休暇中とはいえ、参加せざるを得なかったのだ。

打ち合わせの時間になり、僕はパソコンの前に座った。画面の向こうには、彼の笑顔が映っている。そして、彼が話し始めた。

「やあ、久しぶり!元気だったかい?」

彼の明るい声が、スピーカーから流れ出す。それは、まるで、懐かしい音楽を聴いているような、そんな心地よさだった。そして、僕は気がついた。9日間、全く英語を聞いていなかったにもかかわらず、彼の言っていることが、すべて理解できているのだ。

それはまるで、自転車に乗るように、一度身につけたスキルは、体が覚えているような感覚だった。もちろん、完璧に英語を話せるとは言えない。しかし、少なくとも、彼の言っていることをそこまで意識しなくても十分に理解することはできる。

安心したのも束の間、今度は僕が話す番になった。彼の提案内容に対するフィードバックと、僕の考えを伝えていく。その時、僕はある異変に気がついた。

口が重い。まるで、長い間使われていなかった古い鍵のように、言葉がスムーズに出てこない。頭の中では、英語の単語が、まるで迷路に迷い込んだネズミのように、右往左往しているのに、口から出てくるのは、ぎこちない英語だった。

「えーっと、その、提案内容は、うん、まあ、いいんだけど…」

僕はしばらくの間、自分とは思えないようなまどろっこしい英語で話していた。それは、まるで、久しぶりにベースを弾こうとした時に、指が思うように動かないような、そんな感覚だった。リスニング力は維持できても、スピーキング力は、わずか9日間で、これほどまでに衰えてしまうのか。まるで、長年愛用していた革靴が、急に足に馴染まなくなったように、僕の英語力は、ぎこちなくなっていた。

その後、彼との会話を続けるうちに、少しずつ口が回るようになってきた。しかし、それはまるで、錆びついた自転車を漕ぎ出すような、そんなぎこちなさがあった。

もし、英語から離れた生活が、1ヶ月、3ヶ月、半年と続いたら、一体どうなるのだろう。僕の英語力は、完全に消滅してしまうのだろうか。それはまるで、古い写真が、時間の経過と共に色褪せていくように、避けられない運命なのだろうか。

そんなことを考えながら、僕は、アイスコーヒーを一口飲んだ。冷たくて苦い液体が、喉を通り過ぎていく。それは、まるで、今の僕の心の状態を反映しているようだった。

そういえば、前職で一緒だった同年代の女性が、こんなことを言っていたのを思い出した。「日本に帰国してからも、英語は聞けるけど、話せなくなるんだよね」。彼女は、幼少期から小学校6年生までをアメリカで過ごした帰国子女だった。

その時、僕は彼女の言葉を、どこか他人事のように聞いていた。しかし、今ならわかる。英語から離れるということは、そういうことなのだ。それはまるで、故郷を離れて、長い年月が経つうちに、故郷の言葉が少しずつ薄れていくように。

そして、それは、もしかしたら、僕たちが生きていく上で、避けることのできない喪失なのかもしれない。

窓の外のスコールは、まだ激しく降り続いていた。それは、まるで、僕の心の中の葛藤を洗い流そうとしているかのようだった。

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