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【英語】ビジネス英語を攻略した僕の人体実験⑮ 『TOEICの点数と英語力の関係性を推察』

シンガポールの高層マンション。窓の外には、夕暮れ時の空が広がっていた。オレンジと紫が溶け合うグラデーションは、まるで誰かが筆で描いた抽象画のようだった。美しい景色を前に、僕は冷えたコーヒーを一口飲んだ。もう何度目になるだろう、この物語を語り始めるのは。でも、あの時の記憶は、昨日のことのように鮮やかに蘇ってくる。それは、僕の人生を大きく変えた、片道切符での海外異動の物語、そして、TOEICという名の試練との格闘の日々だ。

今回は、僕の実体験に基づくTOEIC(L+R)のスコアと英語力の関係性について持論を展開したい。

最初に、僕が覚えているTOEICのスコアごとの思い出はこうだ。

445点の僕は、国際線のCAさんの問いかけに、笑顔で宇宙語を返す宇宙飛行士だった。730点の僕は、会議で単語を拾い集める鳥だった。800点の僕は、自己紹介だけは得意な、人見知りの鸚鵡だった。そして900点の僕は、東南アジアの喧騒の中で、片言の英語で自分の道を切り開く冒険家だった。

僕の場合は、TOEICの点数ごとに覚えている僕の英語力はこんなかんじだ。 おそらく、今日現在TOEICを熱心に勉強している人で、まずは800点、900点を目指している方からすると、驚きの結果なのかもしれないが、実はこんなものである。

そもそもTOEICは今でこそスピーキングとライティング(S+W)の試験も存在するが、リスニングとリーディング(L+R)のほうが圧倒的に受験者が多く、TOEICというと最初に思い浮かぶのはL+Rという人のほうが多いような気がする。

でも、L+Rはリスニングとリーディングなので、聞いたり読んだりする「インプットの英語力」のテストだ。この試験勉強をどれだけやってもスピーキングやライティングの力はそこまで向上しない。なぜならスピーキングやライティングは「アウトプットの英語力」であって、別物だからだ。

つまり、僕はインプットの勉強ばかりしていたので、少しずつ英語が聞けるようになったけど、アウトプットの練習をしていないので、スピーキング力が伸びるわけもないのだ。

ここからは、リスニングについて僕が感じていることをもう少し掘り下げていきたい。

結論からいうと、TOEICの点数を無理やりパーセンテージに表すと、僕は納得感のある数字ができあがった。例えば、445点は44.5%、730点は73%、800点は80%、900点は90%、そして990点(満点)は99%という具合だ。

このパーセンテージが僕にとって何を表しているのかというと、僕にとって英語理解度のパーセンテージだった。

445点の僕は、相手の会話の44.5%という半分も聞けていない状況なので、相手が何を言っているのかキャッチすることができないのは仕方がないことだ。この時の僕は、会話の半分が砂嵐状態だった。

900点の僕は、相手の会話を90%くらい理解できるので、ほぼほぼ会話にはなるけれど、それでも相手が言っていることがわからないこともあるような状態だ。つまり、時々聞き間違いもするし、理解もできていない。

ただし、これらの点数は、あくまでTOEICの試験問題のようにきれいな英語を話してもらっている時なので、シンガポールやマレーシアなどの砕けた英語やインドやオーストラリアの聞き慣れない訛りを含む英語の場合は、難易度ごとにノイズ係数を掛ける必要がある。

ここでも僕の経験則からくる勝手な数字を言うとすれば、シンガポールやマレーシアの砕けた少し中国語訛りの英語は20%減の80%、インドやオーストラリアの聞き慣れない訛りのある英語は30%減の70%くらいだろうか。

900点の場合は、シンガポールやマレーシアでは900 x 0.8 = 720点、つまり72%となる。インドやオーストラリアになると900 x 0.7 = 630点、つまり63%となるわけだ。

もちろん、砕けた英語や訛りのある英語は慣れの問題なので、時間とともにこのノイズ係数はなくなっていき、いずれ「砕けていようが、訛っていようが、きれいであろうが、それも含めて全部英語」になるので安心してほしい。

例えば、最近の僕は、インド人10人と僕というフォーメーションで会議に巻き込まれても、彼らが何を主張しているのかわかるし、会話に入ることもできるし、彼らがお互いにお互いの主張を理解できていないにも関わらず、一方的に自分の主張を話していることもわかるようになった。

さて、このnoteを締めくくる前に、TOEIC990点についても僕の持論を展開したい。

なぜ、TOEICが1000点満点ではなく990点満点なのか、考えたことはあるだろうか。公式回答が存在するかどうかを僕は調べていないので、あくまで個人的な考えではあるが、最後の10点が存在しないのは「コミュニケーションに完全はない」からなのではないかと思っている。

同じ日本語を話す日本人同士の家族、夫婦、兄弟、友人、上司部下でもまれに会話が通じない、それと似ているのではないだろうか。

そう考えると、コミュニケーションに終わりがないことを示す、空白の10点を設計した方は、粋な考え方をされる方だなと、僕は尊敬してしまう。

今日は、TOEICの点数と英語の理解力について僕の持論を綴った。これは正解ではないし、そもそも正解が存在するようなトピックでもないが、少なくとも1つの考え方と指標にはなるのではないかと思っている。

次回、「生成AIの登場に伴い今後は英語力は不要になっていくのではないか」という考え方について、僕の持論を展開する。

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