【キャリア】人生設計やキャリアに迷っている人に伝えたいこと『迷った時の正解の選び方』
シンガポールの高層マンション。窓の外には、建設中のビルがニョキニョキと生えていて、まるで巨大な豆苗農園みたいだった。その向こうには、朝日にきらめくマリーナベイ・サンズ。まるでSF映画に出てくる宇宙船みたいだ。下の方を見ると、プールサイドで日光浴を楽しむ人々が見える。彼らの肌は、まるでココナッツオイルを塗りすぎたみたいにテカテカと輝いている。
僕は、冷房の効いた部屋で、濃いめのアイスコーヒーを飲みながら、カヤトーストを齧っていた。甘いカヤジャムとバターが、僕の思考回路をさらにとろけさせる。シンガポールに来てからというもの、僕はすっかりアイスコーヒー党だ。毎朝、コピティアムで飲むアイス コピ オ コソン(ブラック無糖のアイスコーヒー)は、まるで灼熱の太陽の下を歩く僕にとってのオアシスのようなものだ。
そういえば、先日、コピティアムで隣に座ったおばちゃんが、「アンタ、日本人なのに、なんでそんな黒い飲み物飲んでんの?甘くないわよ?不味いし体に悪いわよ!」なんて言ってきたっけ。シンガポールでは、冷たい飲み物は体に悪いという考え方が根強い。そして、とにかく何でも甘い。だから、おばちゃんは僕のことを、まるで真冬にプールに飛び込む奇人変人を見るような目で見ていた。でも、僕は気にしない。だって、暑いんだもん。そして、このブラックコーヒーの不味さが好きなんだもん。
人生ってやつは、まるでシンガポール名物のチリクラブみたいに、手づかみで食べなきゃいけないから、面倒くさい。殻を割って、手を真っ赤にしながら食べ進めるうちに、ふと「あれ、俺、人生ってやつをちゃんと味わえてるのかな?」なんて、哲学的な疑問にぶち当たったりする。
そんな時、多くの人は、とりあえずチキンライスを頼む。安心・安全・安定の味。まるで、人生の「無難な選択肢」のメタファーみたいだ。実際、シンガポールでは、チキンライスはどこで食べてもハズレがない。まるで、国民食と言っても過言ではないくらい、愛されている料理だ。
だけど、僕はそうは思わない。人生の岐路に立った時こそ、思い切ってドリアンに手を出すべきだ。強烈な匂いと、クリーミーな舌触り。未知なる体験は、時に衝撃的で、時に感動的だ。まるで、人生の「冒険」を象徴しているかのようだ。ドリアンを食べる時は、周りの目を気にせず、思いっきり顔を突っ込んで、その濃厚な味を堪能する。それが、ドリアンを食べる上でのエチケットであり、人生を楽しむ上での秘訣でもあるのだ。
僕のサラリーマン人生も、そんなドリアンみたいなものだった。新卒で入った Hewlett-Packard は、まるでエアコンの効いたショッピングモールみたいに、快適で安全な場所だった。そこでは、皆が同じようなポロシャツを着て、同じようなシングリッシュを話し、同じような仕事をしている。まるで、巨大なフードコートで、皆が同じチキンライスを食べているような光景だった。
3年半後、僕は Hewlett-Packard を辞めた。それは、まるで、エアコンの効いたショッピングモールから飛び出し、蒸し暑い屋台街に飛び込んだようなものだった。周りの人々は、「あいつ、大丈夫か?」と心配そうに僕を見る。でも、僕は、屋台の熱気と喧騒、そして多様な料理の香りに満ちた世界で、自分自身を見つけたいと思ったのだ。まるで、チキンライスに飽きて、ラクサやナシレマ、バクテーなど、様々な料理に挑戦してみたくなったように。
次に僕が迷い込んだのは、Microsoft という名の巨大なテーマパークだった。そこでは、まるで、ジェットコースターに乗っているかのような、アップダウンの激しい日々が続いた。英語もままならない僕は、アトラクションの案内板を読めずに、右往左往するばかり。まるで、迷子になった観光客のようだった。
それでも、入社から3年後、僕は3ヶ月間、アメリカのオフィスで働くチャンスに挑戦した。それは、まるで、激辛のチリクラブに挑戦するようなものだった。最初は戸惑い、苦しみ、逃げ出したくなる。でも、食べ進めるうちに、その辛さの中に、深い旨味とコクがあることに気づく。そして、最後には、完食した時の達成感と満足感に満たされるのだ。
さらに数年後、僕は Microsoft を辞めて、Google という名のジャングルジムに飛び込んだ。そこでは、様々な人種、様々な文化、様々な価値観が入り混じっていた。まるで、リトルインディアの雑踏のような、刺激的でカオスな世界だった。Google の東京オフィスは、まるで巨大な珍獣動物園みたいで、フリーフード、フリードリンク、フリースナック、ゲームコーナー、マッサージ室、仮眠室、音楽スタジオなど、ありとあらゆるものが揃っていた。まるで、子供の頃の夢が全部詰まった宝箱みたいだ。
そして4年後、僕はシンガポールに移住した。それは、まるで、セントーサ島行きのケーブルカーに乗るようなものだった。高所恐怖症の僕は、最初は怖くて足がすくんだ。でも、眼下に広がる美しい景色に目を奪われ、次第に恐怖心は消えていった。シンガポールでの生活は、まるで毎日がアドベンチャーみたいだ。新しい発見や出会いが、僕をワクワクさせてくれる。
その後も、約10年間のシンガポール生活をする中で、僕は様々な岐路に立たされてきた。まるで、シンガポールの MRT の路線図みたいに、複雑で入り組んだ道を進んできた。でも、僕は決して諦めない。なぜなら、僕は知っているからだ。どんなに複雑な路線図でも、必ず目的地にたどり着けるということを。MRT に乗っていると、時々、反対方向の電車に乗ってしまうことがある。そんな時は、「あーあ、やっちまったなぁ」と、軽く落ち込みながらも、次の駅で降りて、正しい方向の電車に乗り換えればいい。人生も同じだ。間違った方向に進んでいることに気づいたら、軌道修正すればいい。
人生の岐路に迷った時、大切なのは、自分の心の MRT マップに従うことだ。それは、まるで、ポケットに忍ばせた「シンガポール観光ガイド」のようなものだ。ガイドブックに載っている穴場スポットや、おすすめグルメを参考にしながら、自分だけの旅を楽しめばいい。僕の場合は、そのガイドブックに、「プロのベーシストになる」という大きな文字で書かれたページがある。いつか、そのページを開く日が来るのだろうか。
もし、あなたが「自分には MRT マップがない」と思っているなら、それは、まだ自分の「行きたい場所」を見つけていないだけなのかもしれない。まずは、シンガポール中を歩き回って、自分の好きな場所、好きな食べ物、好きな人を見つけよう。そして、自分だけの「シンガポール・スリング」みたいなカクテルを見つけよう。僕の場合は、それはきっと、アイスコーヒーにカヤジャムを溶かした、「コピ・カヤ」みたいな飲み物になるだろう。
そして、自分の MRT マップが完成したら、あとは電車に飛び乗るだけだ。たとえ、周りの人々が「そんな路線、ないよ!」と笑ったとしても、気にしない。自分だけの路線図を信じて、進んでいけばいいのだ。
そして、迷ったらその時に考えている目的地に一番早くたどり着ける選択肢を選ぶことが正解だと思って進めばいい。たとえ完全な正解ではなくても、目的地から離れることはないし、大きくハズレることもほとんどない。少なくとも、「止まるな危険」だ。
そして、今の自分の状況がよくわからない人は、一度ゆっくりと考えてみてほしい。3年前の自分は、今の自分と比べてどうだろう?仕事内容、給料、働く場所、職種、スキル、人間関係。何か変化はあっただろうか?もし、何も変わっていないとしたら、それはまるで、3年間同じ MRT の駅で立ち往生しているようなものだ。そろそろ、違う路線に乗り換えてみるのもいい頃かもしれない。もしかしたら、その路線の先に、(僕の場合)夢に見たプロのベーシストの自分が待っているかもしれない。
終身雇用という概念は、もはや過去の遺物だ。どんなに安定した大企業でも、明日はどうなるかわからない。明日の朝、目が冷めたら倒産しているかもしれないし、他の会社に吸収合併されるニュースを見るかもしれない。まるで、突然、巨大なドリアンが空から降ってきて、全てを押しつぶしてしまうようなものだ。想像してみてほしい。高層ビル群に、無数のドリアンが降り注ぐ光景を。それは、まるで、ドリアンを使ったバイオハザードだ。そんな不測の事態に備えて、僕たちは常に準備しておく必要がある。
キャリアにおける防災訓練とは、常に最新の履歴書を準備しておくこと。そして、いつでも新しいキャリアに移動できるように、自分のスキルを磨き続けることだ。まるで、緊急時に備えて、パスポートと十分な現金を持ち歩くことのように。そして、もしもの時は、迷わずドリアンを盾にして逃げればいい。ドリアンの硬い殻は、きっとあなたを守ってくれるだろう。生きていればなんとかなるし、何より大抵のことは時間が解決してくれる。多少の回り道は、学びの機会だと思って受け止めればいいのだから。
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