人に「断言される」のが苦手っていう心理
私のnoteの性質上、仕事を休職した人や適応障害、うつなどの症状に悩んでいる人の記事が、よく目に付きます。
ちょっと前にたまたま目にした記事で、「ビジネス書は『こうなのです』って断言されるのが精神的にキツくて嫌い」という人の文章を読んで、「そうそう!」と共感したので、そのへんのことを書いてみます。
私自身の投稿でも、ずいぶん前になりますが、以下のようなビジネス書や啓発本が嫌いになった話を書いています。
前半は「私の本の選び方」をダラダラ書いているだけですが、後半ではどうしてビジネス書や啓発本が苦手になってしまったんだろう?と考察しています。
この時には、「できる人」や「うまくいってる人」と、自分とを比較をしてしまって、自分自身のダメ加減を再認識してしまうのが苦痛なのだろうかという分析をしていました。
でも、考えてみたら、冒頭のように「誰かに意見を断言される」ことに反抗心や違和感を覚えた、という意識も確かにあるような気がします。
商業出版の宿命
考えてみたら当たり前かもしれませんが、紙の出版物は必ず出版社と編集者の手が入っているはずです。
商業出版は、自費出版と違って「たくさん売れること」が第一命題で最優先。
とにかく、売れないことには話になりません。
そのような本の内容で、「Aとも言えるがBとも言える」「一概にそうとは言えない」などと、曖昧な表現を使っていては、本としての価値がないでしょうから。
異論・反論があろうが、炎上しようが、「○○なのです!」「○○はダメ!」と、きっぱり断言することが求められるのだと思います。
尖った意見じゃないと価値はありません。
なので、
・あなたが○○なのは、△△だからです。
・○○するには、△△しないといけません。
などのように断定的に書かないと、コンテンツとして意味がないのです。
断定的な書き方にすると、どうしても上から目線になります。
確かに、ちゃんとした出版社から紙の本を出すような人は、それなりの経歴や肩書きを持っている人がほとんど。
少なくとも、一般の人よりも、知識や経験が豊富なのは当然です。
控えめに書いたとしても、上から目線になるのも当たり前。
そういう本を読むと、ためになったり勇気づけられることもあるけど、置かれた状況や心理状態やによっては、逆にキツいと感じることも多いと思います。
それが、ビジネス書や啓発本が苦手になるメカニズムの正体なのではないかと。
書籍だけじゃなくて、身近な人からでも「○○しなきゃダメだよ」のような断定的な発言をされるのが、ちょっと苦手って気にはなりますね。
「私はこう思うんだけど」くらいの言い方のほうがいい場合もありますね。
どう思います?