属人性と知的実験
画像生成AIは相変わらず面白くて、ちょこちょこ楽しんでいるんですが、今日は公開はお休み。(次回作は作成中)
タイトルはちょっとお堅いけど、「属人性」という言葉について考えます。
というのも、会社で仕事をしていた時は、なるべく「属人性をなくす」方針があったのだけど、noteは逆だよな、と思ったことに着想を得たので。
ビジネスにおける「属人性」とは、特定の業務やプロセスが、個々の従業員のスキルや知識に依存している状態を指します。
つまり、「その人が休んだり、いなくなると何も分からなくなって困る」という状態ですね。
確かに、組織でそういうことがあると、機能停止のリスクがあります。
でも、実際にはそういうことってあり得ます。
それでは困るので、いざとなったら他の人でも代わりに作業ができるように、手順書やマニュアル化が必要なわけです。
言い換えれば、「誰でもできる仕事」化ですね。
企業では、そのようなマニュアル化と同時に、クリエイティブな業務も期待されます。
新規事業の企画だったり、業務改善の提案のようなものです。
これは矛盾しているわけではなくて、企業活動では両方が重要なのは当然のこと。
まあ、新規企画のような提案は、「千三つ」という言葉があるように、1000個のアイデアがあっても、GOサインまで行きつくのは3個あるかどうか、の世界ですが。
ここで話は変わって、noteの話なのですが、noteに投稿している人は全員、例外なく「クリエイター」なわけです。
この世界にマニュアル化はありません。
全員が唯一無二の存在ですよね。
で、また話は少し変わって画像生成AIでは、「プロンプトをコピペして使う」という手法はあります。
これは、ある意味ではマニュアル化の一種と言えます。
ノウハウの共有です。
全く同一の出力はされないでしょうが、それなりに同等のクオリティのものは作れるはずです。
ただ、「そういうものを作ろう」とする発想と、「できたものに意味を持たせる」という表現方法は、完全に個人の独自のものであり、決して属人化できないものですよね。
例えば、画像生成AIに、
●「奈良の大仏が全力疾走している画像」
●「ベートーベンが弁当を食べている画像」
と入力すれば、誰がやっても同じような画像が出力されます。
そんな、一見意味のないことをやろうとする「思い付き」、それと、出力された画像にコメント(ツッコミ)を入れて、1つの作品に昇華させる「意味付け」こそがオリジナルの価値を生むのか、と気付きました。
というか、過去作品の投稿にスキ、コメントいただいた方々が、言語化してくださることで気付かされました。
「こんなの面白いのかな(自分は楽しいけど)」という自己満足的な投稿を面白がってくれる人がいて、実験的な試みではあるものの、この方向性はアリなのかも、と勇気をもらっているところです。
面白いと思える「ツボ」が共有できる人がいるのは、幸せの一言につきます。感謝です。
なんかまとまりのない文章になってしまった…。
明日は、画像生成AI見ますか、の投稿予定です。
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