普通のことを考えてたら頭がおかしくなりそうになった話
日常の会話で、普通に「普通」という言葉はよく出てきますよね。
でも、これほど頻繁に使われるのに、これほど曖昧な単語も珍しい。
人によって、めちゃくちゃバラつきがある言葉だと思うのだ。
「普通」の定義の違いによって、トラブルの元にもなりがち。
「普通はこうだろ!」「あんたの普通は私の普通とちゃうわ!」みたいな口論も、よく起こりそうですね。
世の中の人間関係の問題は、ほとんどが「"普通"基準のすり合わせ」と言ってもいいのではなかろうか。
今回は「普通」について考えてみます。
・・と言いつつ、ちょっとテーマとしては壮大すぎて難しいな。
まずは辞書で引いてみよう。
自分は普通なのか?ちがうのか?
テーマとしては、ざっくりしすぎてあまりに雑。
まとめられる自信がありません。
まず、なぜ普通という言葉がアンテナに引っかかったのか?というと、自分が休職していて、毎日仕事をせずにプラプラしている生活だからです。
休職したくてしている訳じゃないですけどね。
この年代の人なら、働いているのが「普通」ですよね。
ってことは、「今の自分は普通ではない状態なのか?」ってこと。
たいていの人は働いている。(多数派)
理由はどうあれ、今の私は働いていない。(少数派)
=普通ではない。
というロジックです。
何が「普通」をややこしくしているか
今の自分が普通じゃないことは分かった。
それはまあええわ。
上記の大辞林で調べても、大まかなには「多数派」を指すような意味合いですね。辞書にもあるように、特別ではなく一般的である、という意味。
ただ、近年は、「たとえ少数派であっても、認知されつつあること」が「普通」と表現されます。
あるいは、「急激に増えつつあること」とかね。
例を挙げてみよう。
マイノリティ(少数派)であっても、受け入れて、不利益が生じないような社会にしていこう、というムーブメントを指して「普通」という便利な言葉で表現しているように感じます。
つまり、私のように現在働いていない人は「普通ではない」のですが、そういう人もいるよね、と受け入れようとする今の社会は「普通」なのですね。
そこの認識にズレが生じたまま、「普通だ」「普通じゃない」という議論をするのは不毛です。毛が生えていません。
では「普通の人」とはいったい?
エピソード①
お見合いや婚活で、「高望みはしません。普通の人でいいんです」と言っている人がいますね。いるとしましょう。
「見た目は不細工じゃなければ普通でいい。性格は優しくて包容力があればいい。年収も○万円くらいあればいい。親の干渉はなくて、面倒も見たくない」みたいに、どんどん条件が狭まって、どこが普通やねん!みたいな。
100人いてもその条件に当てはまるのは1~2人いるかどうか。
普通って多数派じゃなかったの?
エピソード②
職場は良識があってまともな人ばかり。
でもよくよく見てみると、よく言えば個性的、悪く言えば変わった人も多いかもしれない。
妙なこだわりや執着心がある人。他人に干渉する人。自分の意見を曲げない偏屈。やたらマウンティングしてくる人。妙に卑屈。とにかくおしゃべり。ナルシスト。天然ちゃん。真面目すぎて融通がきかない。無口。人生悟ってる。気性が激しい。etc.
あ、あれ?この職場って、こんなに変人ばかりだったっけ?
「普通の人」はどこにいる? そういうアナタも、そういう私も・・?
まとめ
多様性を受け入れることが運命付けられた現代、異常事態、カオス、混乱、レアケースも全てひっくるめて、それが「普通」とされる社会です。
これまでの常識からの解放とも言えます。
一方で、「普通の人」という考え方は、多様性の波によって、これまでの一般的の枠に収まっていなかった人も、一般的の枠に含まれるようになりました。
学校に行ってなくてもいい、仕事をしてなくてもいい、同性を好きになってもいい、離婚しててもいい、精神に問題をかかえていてもいい。
マイノリティが陰に潜んでコソコソする必要がなくなった社会。
それが今の普通。
「私って変わっているから」と自分で言う人が、案外平凡でまともな人間だったりする一方、「こんなの普通でしょ」と言っている人が、「いやいやいや、そういうのは世間では十分ド変態というのですよ」な人だったり。
もしかしたら、「普通の人」のほうが探すのが難しい、レアな存在になってきているのかもしれません。
結論としては、自分が思う「普通」と世間や他人の「普通」は違っているかもしれない、と思ってたほうが、精神衛生上よろしいかと思いますよ。
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