お金があることの不幸
お金があれば選択肢が増えるのは自明。
取れる手段が増えることは良いことと思われる。
一般的には。
歳を経て、自由に使える金の量が増えた。
お金をやりくりすることがない。
足りなければその分稼ぐ。
否、そもそも足りないと思うことがない。
良く言えば身の丈を知っている。
かつては自由にできる金が少なかったために、同じ本を二度、三度、どころか十度以上読むことが多かった。
同じ本を幾度も読むことで得られるのは、読解力と本への愛着。
数々の新しい本を一度読むことで得られるのは、多くの知識と未知への高揚。
今私が得ているのは後者のみ。
それは金が使えること、
時間が限られていること、
絶版を知ったこと、
この3点の理由が大きい。
“ 定石 “という言葉を知っているだろうか。
囲碁の用語のひとつ
『昔から研究されてきて最善とされる、きまった石の打ち方』
転じて、『物事をするときの、最上とされる方法・手順』を意味する。
引用「デジタル大辞泉」
何が言いたいのかというと、
一見選択肢は増えたとしても
その選択肢が等価でないのならば
実のところ選ぶのものは決まっているということだ。
その時々で人の持つものは変わる。
幼少期にしかできないこと、未成年までしかできないこと、大人にしかできないこと、老後にしかできないこと。
常に、今できることを考えてことを成す大切さを忘れてはいけないと思う。
だから、金がある今同じ本を幾度も読むことを私はしない。
できないとも言う。
私は金を得てこれらを半ば失った。
良く言えば、金を得た今、ほかにするべきことを持った、とも言えるが。
私は金を得た不幸と思う。
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