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北のまほろば 〜GW津軽の旅〜 ③縄文遺跡編

2024/05/04 DAY3


この日は、弘前駅前でレンタカーを借りて、白神山地へ向かう。
のんびりと五能線に揺られていくことも検討したが、旅の自由度が圧倒的に下がるので断念した。

青森といえば避けて通れないのが、2021年に世界遺産に登録された三内丸山遺跡である。司馬遼太郎が『街道をゆく 北のまほろば』を連載中の1992年に発見されたものだ。
少し遠回りになるが、まずは三内丸山遺跡に行くことにした。
連チャンで登山はシンドイので、一日おきに観光を挟むくらいが丁度よい。

ここは入場料410円ながら、非常に充実していた。遺跡と博物館の両方を見学することができる。
やはり、実物を見るということが重要なのだ。とても勉強になった。

縄文時代のイメージは、私が子供の頃と比べてガラリと変わってしまったようだ。縄文人は狩猟採集民なのに、定住して集落を作り、作物の栽培も行っていた。当時、かくも巨大な建造物が作られていたとは驚きである。
縄文人は、約3万年前に日本列島に渡ってきた旧石器時代人の生き残りで、ずっと大陸から切り離されて孤立して暮らしてきたと思っていたのだが、そうでもないらしい。縄文人はイヌを飼っていた。イヌが家畜化されたのは約1万5千年前なので、ということは、縄文時代にも大陸との交流があったということだ。

三内丸山遺跡シンボル、大型掘立柱建物(復元)
実際の大型掘立柱建物跡
左のドームの中に大型掘立柱建物跡がある
復元された建物の内部
三内丸山遺跡遠望
さんまるミュージアム
発掘された大量の土器

太宰治が『津軽』の中で自虐的に書いているように、北東北は冷害に悩まされ、貧しくて悲惨な地域というイメージだった。でも、かつてはここに、豊穣なる「北のまほろば」があったのだ。
稲作の導入が、北東北を貧しくした。でも、このまま温暖化が進めば、北東北こそがふたたび「まほろば」になる日がくるのかもしれない。

グロテスクな(?)五能線木造駅舎

じっくり遺跡を見学した後、宿のある深浦町に向けて車を走らせる。
途中、五能線木造(きづくり)駅に立ち寄った。この近くの亀ヶ岡遺跡から、有名な遮光器土偶が発見された。特徴的な目が、イヌイットが使う伝統的なサングラスのように見えることからその名がある。ただし、その実物は上野の東京国立博物館にある。
この駅舎は遮光器土偶の巨大なオブジェになっていて、司馬遼太郎が著書の中で呆れ果てている。バブル期の「ふるさと創生事業」によって全国の自治体にバラ撒かれたカネで作られたもので、1990年代はこのような謎物体が日本中に溢れていた。かつては目からビームを発していたという。
とはいえ、それでも長い年月を経ると、味わいが出てくるものである。

つがる市方面からの岩木山


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