アインシュタインやビートルズに、なれなくとも
社会や時代に影響を与える人たちはいます。時代を超えて、語り継がれる偉人、天才も。
学生時代は、そういった人に憧れたものでした。
イチロー選手とか。
また、オードリー・ヘプバーンなどの役者は、ずっとフィルムが残り、つまり生きた証が残っていくんだろうと。
相対性理論を唱えたアインシュタインも、ビートルズの名曲も。ゴッホの名画も。スティーブ・ジョブズも。
ずっと、忘れられない偉人たち。
最近、瞑想家の先生に才能について習いました。
「才能とは、そのすごさや特異性ではなく、認められることやお金を稼ぐことに関係している。」
とのことです。
詳しく言うと、
「狩猟時代では、遥か遠くの獣の声を聞き分ける能力は重宝されたかもしれないが、現代社会ではあまり使うことがない。
現代では、サッカー選手がもてはやされているが、狩猟時代には価値がない。
人々が言う才能とは、そのすごさそのものでなく、人に認められるかを重視している。」
「"サッカー選手になれない、自分に価値はない" は、おかしい。
"遠くの獣の声を聞き分けられない、自分に価値はない" が、おかしいのと同じ。」
なるほど!
才能を欲するって、そういうことなのか。
認められたい欲なのね。
今でもイチローたちのことは、もちろん素晴らしいと思います!
情熱、努力、ひたむきさで記録に挑んだり、名曲を生み出したり、世紀の発見をしたりする人たち。社会を引っ張り、時代を変える人たち。
尊敬するけれど、羨ましいとか、なりたいとかは思わなくなりました。
他のだれかに憧れるなら、その人の輝かしい結果ばかりを見るのでなく、その過程、生き方や考え方を参考にしてみるとか、もうちょい建設的にしようと。
自分は自分で、他のだれかにならなくても、大丈夫。
自分が心から望むこと、心の声を聞いてあげて、自分の人生を生きたいと、今はそう思います。