結局自分の事が大好きなんだよね。精神的に悩みまくってる人達を見て思う。
昨日の講演会でもお話しした事の中にありましたが・・・
自身の正しさを相手に説くという事は、
一種、相手の間違いを指摘していくようなものである。
学校に行かない我が子を学校に行かせようとする親の気持ち。
それはとてもよくわかります。
世の中、全体はあくまでも王道を示し、そこから外れる事は
群集心理、集団心理も合わせれば、なかなかの恐怖ですから、
その恐怖心を親自身が抱え続ける事・・・解消したい思いから、
子供へ、不安をプレゼンしてしまう。
無理のない事だとも思うんです。
不登校支援やひきこもり支援の中で、親御さんと面談させていただく際、
大抵の親御さんには
「親が子を想ってやる事に間違いなんて軽々しく僕が判断できませんよ。」
なんて話すのは上記の考えからでしかない。
ただね。
親が親の正しさを解けば、子は子の間違いを認識せねばならない。
それが【学校に行く】か【行かぬ】かであれば・・・
なんとくだらない事で争っているんだろうか・・・。
そう思えてきませんか?と優しく問いかけたい。
そんな事で、親子関係が修復不可能なほどの溝を作れば・・・
それこそ将来的にリスキーではないだろうか・・・?と。
仕事をした方が良いと思う!
と解けば、仕事をしていない人にフックする。
二重の方が人生が得だ!
と自身の見た目を呪う発言をすれば、言うまでもなく、
一重で過ごしている人にフックする。
まあ、ララホーム的に言えば、それにフックする人にも
その人自身の課題があり、主張した瞬間に五十歩百歩。
ほぼほぼやってる事が変わらないっていう面白い事になる。
赤信号は渡っちゃいけない!
約束は守ろう!
早起きした方が良い!
お墓参りはしっかり行くべきだ!
目上の方を上座へ!
全部実はそう。
それが理由があって出来ない人や、
それをあまり重要視していない人に対しての配慮はゼロの言葉なんだ。
僕は最近、というかこの1年ぐらい
人に何かを【こうあるべきだ!】と押す事がなくなった。
究極言ってしまえば、
【こうあるべき】なんてもんが無いような気もしてきている。
誰しもがBESTな選択を本人的にしながら、今を迎えていて、
それが良くも悪くも、残念ながらご本人の選択決定で得た結果な訳です。
それを
【こうするべきだ!】なんて一蹴したら可哀想でしょ?
配慮足らずな、空気読まずな奴になっちゃうでしょ?
ってね。
提案というか、考えていただく事はありますが・・・
それはあくまでも相手が求めている中でこそやる事だと思っていて、
求めていない人に強烈な指摘になるような事は極力避けている。
カウンセリングの中でも枕詞を付けて、
クライアントさんの反応を見ながら話すぐらい気を付ける。
何故ならば・・・
あなたが間違えている!
と言いたい訳じゃないからだ。
伝えたいのはそういう事じゃない。
何も考えず、自分の正しさ、価値観だけを主張し続ける人というのは
一種、自分が一番であるからこそ出来るような事だと僕は思っています。
「自分の顔が気に入らない!この顔のせいで!!!」と
可愛いとか美人とか人生で一度も言われた事が無いけど、
結婚し、幸福を手に入れてる人の前で言ってれば、
それは滑稽と言わざるを得ない。
例えば、その対峙している人が
「そんな事ないよ。私なんかさ・・・それでも幸せだしね。」
なんて話せば、それにフックして反論したりする光景も見る。
しかし、これに反論するって事は、その心理を読み解けば、
あくまでも自分の考えは曲げたくない、
曲げたら、自分自身が処理してきた色々な情報が
一気に処理不可なものになってしまう。
そんな頑なな、自分を守る姿が見えてくる。
主張をするな!という意味ではない。
価値観は誰しも独自のモノを持っていますし、
それを完全に捨てるなんて、死するときが来るまでは
なかなか難しいと思います。
ただ、主張しているって事は、
あなたはちゃんとあなた自身を大切に、愛しているんだね!って
気付いて欲しいんですよね。
主張はするけど、どんどん自分を追い込み、苦しめ、
自分の事大嫌いだ!!!!!!と叫んでる人も見る。
それも含め、大好きなんだなぁ・・・って見えるって事に
気付いていただきたいんですね。
だとしたら、
自分の事大好きだぁ!って言えた方が良いんです。
変かもしれませんけどね。
メンタルにとってはその方が良いんです。