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精神疾患の解消にある程度のストレスは不可欠①人間関係は避けられぬ!故に。

障がいというものの考え方に関しては
常々自問自答し、常々自分を疑いながら過ごしている。

例えば、右手がない人を右手がない事によって
生きづらさを抱えている人がいたとして・・・。

障がい者とはこういう
【何かしらの欠損による不自由を強いられている】人達の事を指すんだ!

と定義付けした場合、

本人の意向関係なしの第三者の評価がそこに入る。

どういう意味かって言えば、
生まれた時から右手が無くて、左手だけで当たり前のように
全ての生活を賄えている人であれば、
そもそもの論点だった生きづらさというのは、とても怪しくなる。

じゃあ、そういう人は生きづらさをご本人が感じていないから
障がい者ではないのか??と言えば、
社会の見方は違う。

【右手がない】=【大変だろうなぁ・・・】→【可哀想】

っていう自動的な道徳心というか、倫理観が入ってくるんだ。

僕はそれが障がい者差別、もっと言うなれば、
障がい者贔屓・・・健常者差別を生むとさえ思っている。

今回のシリーズは精神疾患や精神障がいの方に対して、
またそれと向き合う福祉全般、医療全般への疑問を呈するような
そんなお話なので・・・こんなオープニングで入りました。

ハッピーバースデー☆ももちゃん☆

精神疾患、精神障がいの解消にある程度の
ストレスは不可欠である5つの理由。

①人間関係は避けられぬ!故に。


厚生労働省のHPで精神障がいを調べると
主に出ている病名(障がい名)があります。

統合失調症、気分障がい(うつ的なもの)、
てんかん、依存症、高次脳機能障がい・・・

これら全てを【精神】障がいと銘打ってる辺り、マジ!?って思いますが、
それぞれ症状の違い、重度軽度、差はあるものの、
これまた厚労省の合理的配慮などの勉強会で語られてる言葉を持って来れば

【人間関係が苦手】

そう言われています。

それぞれの病気(障がい)の特徴を見れば
そうである理由も安易に想像が出来てしまいます。

統失=幻聴、幻覚、集中力が低下する・・・

故に人間関係が苦手なんです。

気分障がい=うつ、躁、気分の波が激しい。些細な事で上がり下がりする。

故に人間関係が苦手なんです。

依存症は・・・アルコールや薬物が代表例ですが、
これらの治療に友人関係も含めてそもそも見直す事が含まれていたり、
それまでの人間関係の歪みは否定できないものです。
依存する対象は色々ですが、それらに依存する理由も含めて
上記の精神的な病が絡んでいる方もいます。

てんかん、高次脳機能障がいは別のところに原因があったりして、
個人差が強く出るとは思いますが、
人と関わる事への抵抗を覚える方も多いでしょう。

総じて、一括りに【人間関係が苦手】
として十分なものがそこにあるんでしょう。

長男もなぜかはしゃいでますw長女の誕生日☆

一昔前まで、当たり前のように医療の現場でも行われていましたが、
「あなたは〇〇病です。だから▽▽は出来ません。◇◇は諦めましょう。」

なんてね。

単純です。ストレス源を元から断つイメージですね。

人間関係でちょっとしたことがあったら、
鬱々してしまう・・・その度に死にたくなってしまう・・・
その原因が【うつ病】と診断がくだったら、

「だからかっ!!!」

と今までの事に合点がいく。

【うつ病】である限りはそうなるのであれば、
【うつ病】が治るまでは人間関係を少々控えよう。

それが長期的になれば【気分障がい】

人間関係はなるべく控えよう。

っていう訳です。


僕は多くの精神の方を診ていますが・・・

殆どの方が、様々な制約を自分自身に課しています。

それは自分を知るって意味で定めてきたようなものと見受けられますが、
上記したような病識として捉え、
自分に応用しているものも多くあったりします。

その制約によって救われている方もいらっしゃるんだと思いますが、
残念ながら、僕の元にいらっしゃってくださる方は
そういう訳ではなさそうです。

ケーキいただきました☆ありがとうございます♡

人間関係は疲れる!色々他者の内側を疑いながら・・・
疑心暗鬼であり、恨みつらみも全て内に抱えながらも・・・

理想としては親友やパートナーを欲している。

そんな方が本当に多いんです。


ひとりぼっちが落ち着く・・・とか言いながら、
本当は誰かと共に笑っていた過去の一瞬が心の支えになっている。

理想は毎日、笑って過ごしたい。
誰かと共にありたい。

そんな感じ。


でも!〇〇障がいだから・・・

と自身を見限ろうと頑張ってる人が多い。

頑張らないと見限れないから、苦しいんですけどね・・・。

お誕生日おめでとう☆

内側にそんな理想を描き、外側は一切動かず・・・

そう生きているから、あなたの中で人間関係はなくならない。

それは無人島に行っても変わらない。


本当はこうしたい。

本当はこうあるべきだよな。


そう思いながら、無人島でひとり鬱々出来てしまうのが人です。

苦手を避ければ、その苦手は頭の中で意識され続け、
なんなら、より苦手に、より避けた方が良いものにされていきます。

今日が平穏に終わったら、苦手を避けたお陰であると
紐づけまでされてしまう方もいるでしょう。


本当はどうしたいの?

本当はどうあるべきだと思うの?


大切なのはそれだけです。

そこに到達する為に必要な事は、向き合わざるを得ない事なんです。


人に代わりを頼めるものだったら良いですが、
どう考えてもそうじゃないものもありますよね?

右手がない人が右手の代わりを誰かに頼むのはあっても・・・
健在である両足を使って何処かに歩む事は自らせねばならないでしょう。

健在である自身の頭で自身の理想を描き、それに向けて
人間を高めていく事は自らせねばならないでしょう。

さあ、他者との関わり無くして人は生きていけない。
アドラーも家康もそう言ってます。

あなたはそんな人間関係にどんな理想を持ってますか?

それがある限りは何処に行っても頭の中で人間関係を重ねるんです。

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