
こんな事を口走る善人になるな!③社会参加を促す支援者の価値観。
カフェコッソリを千葉県の船橋市にオープンした際、
そこのオープンスタッフの皆さんに集まっていただき、
僕はひとつの問いをした。
皆さんは自身の料理が提供できればいいですか?
それとも、労働がしたいですか?
その問いの真意は、
社会的には自動的過ぎて考えていないような事を
僕の中では盲点だろうから、と気づかぬふりをして
彼らをただただ労働の渦中に飛び込ませて、
コントロールしたい訳ではないので、
彼らが望む事をストレートに伺う事にありました。
どういう事か?
料理が提供できればいいのであれば、
提供したものに対しての対価を意識し、
売り上げを気にするような、一般的な飲食店の苦悩を
わざわざ背負わなくたっていい。
大切なのはシステムであって、
自分達がやる事は【料理提供】に特化していきます。
吉野家やマクドナルドなどのファストフード店のシステムはそれに近い。
もっと言えば、デリバリーを基本とした飲食事業なんてのは
正に料理提供のみにフォーカスした事業と言って良いでしょう。
大切なのは簡略化可能な部分をとことん簡素化したシステムです。
しかし、彼らが労働したいのであれば、その簡素化は邪魔になる。
動かねば、売れなければ、経営は成り立たなくなる。
自分達が動かなくてもシステム化されたものが滞りなく稼働していれば
売り上げに繋がるようなものではない為、
兎にも角にも体を動かす必要性がある。
そして、動かした分だけに結果がついてくる。
それが一般的な労働だ。
それらも説明した上で、彼らが出した答えは
「労働がしたい。」というものでした。
なので、カフェコッソリはあのような形で運営しています。
(現在、営業日時が変更されています。10時から16時営業。月・火 定休)

こんな事を口走る善人になるな!
他人の人生と向き合う中で注意が必要な5つの発言!
③社会参加を促す支援者の価値観。
そもそも働くって何の為に必要なのか???
シンプルに言ってしまえば、
【生きる為】ですよね?
今、こうしてキーボードを叩いているPCだって、それを動かす電気だって、
お金を払わねば、手に入れる事は出来ません。
そのお金という物質を手に入れる為に一般的なのが
【就労】する事な訳です。
それを障がい福祉の中では【社会参加】なんて
臭い言葉で言ったりするんですが・・・、ちょっと変なんですよね。
【生きる為】に必要だからこそ【就労】なのに・・・
【就労】=【社会参加】となってしまうと少々疑問です。
【社会参加】だけならば、働かなくとも出来てしまいます。
むしろ毎日、町のゴミ拾いをしている高齢者の方をお見掛けしますが、
間違いなく、あれは【社会参加】なさっていると思いますし、
リタイアして、地域の高齢者の中心になって
イベント運営や啓蒙活動をなさってる方は間違いなく
【社会参加】されていると思うんですが・・・
障がい福祉の中だと・・・
【就労】が【社会参加】の実感の湧く活動の
最たるもののように扱われている。

ちょっとフラットに考えてみていただきたい。
【生きる為】に必要だから【就労】が一般的だとして・・・
それさえも崩したらどうでしょう???
ララホームで本気で皆さんに説いてる事でもありますが、
信頼できる友人を100人作る事が出来たらどうでしょう?
その100人の家を1日1日まわって歩く・・・。
泊めてもらって、飲食させていただいて過ごす訳です。
施しで人生を全うする。
え?迷惑かけながら生きるの??
そう思うかもしれませんが、
1番目に頼った人の家に再び訪れるのは3ヵ月後ぐらいになります。
それぐらいであれば、大した負担と感じずに
受け入れてくれるのではないでしょうか?
なんせ、信頼関係がそこにある事が大前提ですから、
むしろ、3ヶ月に1度のその機会を楽しみにさえしてくれるかもしれません。
それがハードルが高いのであれば、もっと一般的なものがあります。
【生活保護】です。
ほら、簡単。生きる事は保証されました。
生きる事は簡単に保証されるんです。
そうなれるってわかった時にその方が何を望むのか・・・?
そう問いかけられないと本当の意味でその方が
何に生き甲斐を見出すのか?全くわからないと僕は思うんです。
その先に見えるものが【社会参加】ならばそうでしょうし、
それは別段【就労】である必要もないんですが、
【就労】ならば【就労】なんです。
それを支援に当たる人間の無知なアドバイスで、
【就労】オンリーな感じにしている光景をアホかってぐらい目にします。
ホント、アホです。
そんな浅はかな思考で人生を決めてはいけません。

自身の浅はかな価値観で被支援者の人生を決めるあなたもあなたです。
考えましょう。
ちゃんとね。
【生活の為には働かなきゃね!】
なんて笑顔でサラッと言ってません?
【就労】=【社会参加】=【喜び】
なんて綺麗事抜かしてません?
ちゃんと考えよう。