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熊野三山をたずねて

豪雨の中、熊野三山を訪れた。最初に田辺市の熊野本宮大社、それから新宮市の熊野速玉大社、最後に那智勝浦町にある熊野那智大社という順序でお詣りした。

平安時代の末期には鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などが幾度も熊野三山に足を運び、大いに賑わったということだ。

熊野本宮大社に向かう頃から雨が激しくなった。階段を上がったり、降りていくという簡単な動作も、この日ばかりは、頭上から降り注ぐ豪雨と流れ落ちてくる激流との戦いであり、転んだりすることのないよう緊張溢れたものになった。

熊野本宮大社

熊野速玉大社は、熊野川を背にして鎮座する朱色の社殿、熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神を主祭神とし、十二柱の神々が祀られている。熊野速玉大神は水の動きを神格化したものと考えられ、雄大な熊野川の河口にある新宮市を象徴しているかのようだという。境内には平重盛公お手植えと伝えられる、国の天然記念物の巨大なナギの木などがある。

熊野速玉大社
上皇方の熊野御幸
巨大なナギの木(樹齢800年) ‐ 御神木
御神木:平重盛の手植と伝えられている

お詣りの後、駐車場で、サッカー日本代表監督の森安氏の姿が。ワールドカップ出場、優勝祈願のためにお詣りに来られたのであろう。

日本サッカー協会では、八咫烏をシンボルマークとして使っている。八咫烏は、日本神話に登場する烏であり、導きの神。神武東征の際、高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる。一般的に三本足の姿で知られ、古くよりその姿絵が伝わっている。

熊野那智大社:南方熊楠が伐採に反対し守り抜いた樹齢数百年の大樹がそびえる大門坂。

さらに473段の石段を上った。

延々と続く階段

473段の石段を登りようやく社殿に到着した。この石段の上には、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いている。拝殿の奥には本殿があり、第一殿から第六殿までが並んでいる。

青岸渡寺
第二殿
那智の滝
本州最南端、潮岬
ホテル近くの奇岩

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