教科書を持って帰らないといけない理由
ブラック校則が、本格的に駆逐されつつあります。
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ニュースでよく聴く「地毛証明」とか。監獄か?と思うくらい人権侵害も甚だしい。いや、いまや刑務所ではもっと自由だ。
世界一甘やかされてると言われるハルデン刑務所(ノルウェー)。30エーカーほどの森を自由に散歩することも自由らしい。村上春樹も驚きを隠さないだろう。知らんけど。
一方、日本の学校では校舎に入るときすら、凶悪犯扱いされ「セキュリティチェック」をされる。
校則ではないけど、なんだったのかわからないものを思い出してみた。
中学・高校時代は、一貫の私立男子校で割と自由だったのですが、そこで一番笑える校則は、土禁(ってイマドキ通じるのかな)でもないのに、教室に入ると上履きに履き替えるっていうルール。
オイルぎたぎたの汚い床なんだけど、白いシューズに履き替えなければならなかった。いまなら真っ白なスニーカーはオシャレだけど、当時はダサさが半端なかった。笑
ほぼ全国共通だと思われるルールには、教科書を持ち帰らなければならないという教えがある。これには大いに疑問を感じます。
小学生のぼくは、家で教科書を使って勉強するいい子ちゃんだったけど、全部の教科書は家に不要だった。算数の教科書だけが好物だった。
いまの子なら、塾に通ったり習い事したり、学校の教科書に頼らず勉強する方法がたくさんある。
それなのに使いもしない教科書を運ぶという苦役を毎日課す。
そして忘れ物すると怒られる。置いておけば忘れないのにね。
校則を厳しく守らせるということにも理屈はあろう。例えば、ルールを守れる子どもに育ってほしいという理由などが挙げられる。親がそれを望むともいう。
でも、ルールを逸脱するのは一部のひと。
しかも校則を設けたくらいで、服従するとは思えない。
一方で、ルールだからの一点張りで、疑問も持たず守り続ける社会人のなんと多いことか。
いや場合によっては、疑問に思っているのに、波風立てたくないために守り続けることがどれだけ害をなしてるのか。そちらの方が大きな問題じゃない?
そして、校則には「髪を染めてはいけない」とあるのに、波風を恐れて地毛が茶色の子に「黒く染めなさい」と強要する教員まで出る始末。
自分たちはちゃんと仕事してますよってアピール。
誰にも文句言われないように、生産性もないことを仕事にしたり。
問題が起きた時に、やれることはちゃんとやってましたから、と保身のための仕事。これをぼくは「アリバイ仕事」と名付けてます。
このルールを守ること至上主義が、ぼくの最も嫌いな「アリバイ仕事」をなくせない元凶だと思うんです。
コンセンサス取りやすくするためのルール。その規則ができた背景や目的こそ、定期的にチェックする必要性があると思うんですよね。
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