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言葉と本音のあいだ

来週引っ越しだというのになにもできてない。
それにものすごく眠い。
なにもできてないし眠いのに、noteを書きたくなってしまったからしかたない。
しかたないなと思って諦めてnoteを書きます。

言葉について。

わたしは話すのがとても下手くそなんです。
最近も、話すのがほんとうに下手くそだなぁと思う今日この頃。
そんなことを考えてるときに、タイトルにあるテーマを記事にしてみようと思いました。

何も考えずに言葉を発することは悪?

今までの私だったら迷わず「yes」というと思う。
どうして染みついたのか分からないけど、
考えて物事を言いなさいマインドがなぜかしみついている。

ちゃんとしなきゃと思えば思うほどそれが顕著になる。
会社では、それでもよかったのかもしれない。いわゆる大人の対応とでもいうのか、言葉は物事を達成するための手段っていうなんとも堅苦しいものに落ち着いてしまっていた。

もちろんそれも言葉の役割ではあるけれども。

でも言葉は本来もっと熱くもなれるし、暖かくもなれる。


あるときふと自分の本音と出てくる言葉の間に何層にも壁があるような感覚を自覚した。

「私はこれが自分の本音だと思って話してるけど、思い込んでるだけで、本当は言葉にする過程でちょっと変わってしまってるのかもしれない」

頭で考えるのと同時くらいで言葉を発しているときは気分が間違いなく高揚していて、聞いてくれている人の目も変わる。
多分私の瞳孔もひらいている。

振り返れば会社で働いていたときも、企画のプレゼンのときだけは、あえて練習をあまりしなかった。
たぶんかためすぎずにありのままに話すことが、なによりも熱が相手に伝わる感覚を無意識に感じ取っていたからなのかもしれない。

言葉は手段でしかない

そもそも言葉は人間がコミュニケーションをとるためにどんどん増えてきたものだ。
あくまで手段でしかない。

鳥がなんて会話を交わしているのか私には分からないし、きのこやだんごむしももしかしたら会話しているかもしれない。

私が分からないだけで、鳴き声にもたくさん種類があるかもしれないけど、人間ほどいろんな言葉を交わしてはいないとおもう。

時間をかけて吟味して選び取られた言葉には熱がのる。
この気持ちをどういう風に伝えようかという言葉遊びは表現としてとっても魅力的。

でも大前提として、あくまで手段であることを忘れちゃいけない。

「何を伝えたいか」より「どう伝えるか」が先にきてしまうと、きっと本音と言葉の間に壁ができる。

心に思ったことをありのまま言葉にのせる、そんな言葉の使い方もしてみたいなと思う今日この頃です。

とはいえ、それをやろうとするとたまによく分からないエラーが起きる。
まだまだ。
だいぶトレーニングが必要そうです。

shiori

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