【ー壼天】(いっこてん) ― 小天地、別世界のこと

 壷中天(こちゆうてん)とも表現する。

 汝南(じょなん)の市場に、治安を預かる役人が詰めていた。名前を費長房(ひ ちょうぼう)という。

 同じその市場に、薬を商うひとりの老人がいたのだが、あまりにもひっそりとした商いだったため、それを知る人はほとんどいなかったろう。老人の店先にはいつもひとつの小さな壷が掛けられていて、商売が終る夕暮れのころ、老人はその壷の中にそっと入り込んでしまうのだが、喧騒をきわめる市場のこと、気づく者とていなかった。

 気づいたのは役所の窓からたまたま市場を監視していた費(ひ)ただひとり。

 はて、不思議なこともあるものだ。自分の目がおかしいのか、それとも何かの見間違いか、と費(ひ)は翌日老人に会って確めてみることにした。

 老人は、

「ははは、見られてしまいましたか。見られたものはしょうがない。それならどうです。一緒に中に来てみませんか」

と誘ったので、費(ひ)も興奇心にかられて同意した。

 すると二人は、あっと言う間もなく壷の中にいた。

 中は贅を尽くした広い部屋になっていて、金銀宝石の飾りも豪華だ。酒や肴の用意も整えられていて、食欲をそそるいい香りをあたりに漂っていた。

「さあ、一献いきましょう」

と言われるままに口にしてみると、人間が作った酒とはとても思えないほど実に旨い。

 壺の中でさんざん飲み、たらふく食べて、大いに満足して帰ろうとした費(ひ)に、老人は

「この壺の中で起きたことは決して誰にも話してはなりませんよ」と念を押した。

 費(ひ)は翌日からもいつものように自分の勤めに励み、老人との約束はちゃんと守っていた。

 それから何日も経ったある日のこと、老人が費(ひ)のもとを訪れて

「もう貴方ももううすうす感づいていらっしゃるでしょうが、実は私は仙人で、過失を犯したため下界に追放されていた身だったのです。このたび許されて天上界に戻れることになりました。おそらくもう二度とお目にかかれることもないでしょうから、お別れにきました。酒をもってきましたので、別れの杯を酌み交わしませんか」と言う。

 費(ひ)も、さもありなん、それでは一献傾けようと、

「よろこんで」

と応じた。

「じゃ、下に置いてありますから、すみませんが部下の方に命じて持ってこさせてもらえませんか」

 というので取りに行かせたが、たかが一升くらいの入れ物なのに、重くてとても持てない。二人でも持ち上がらず、それでは、と今度は十人がかりで持ち上げようとしたが、それでもまだびくともしない。

 老人は、

「はは、やっぱ無理だったか」

と笑い、みずから階段を降りて行って、一本の指でひょいと持ち上げて戻ってきた。

 そして二人で飲み始めたが、そんな小さな入れ物だったから二杯か三杯ずつでも飲めばそれで終わりだろうと考えていた費(ひ)の思惑は完全に外れ、それから丸二日間、ずっと飲み続けたにもかかわらず、ちっとも減った気配さえなかったという。

 その後、老人がどこかに現れたことがあったとか、費(ひ)がどのような人生を送ったのかなどのことは、どこにも記録されてない。

 と、まぁ、こんな話が「後漢書」の中の「方術伝」というところに載っていて、ここから、小さなところに引っ込んで自分だけの楽しみにふけるときに「壺の中の天地に遊んでる」などと表現するようになったのである。

 自分の壺中天を持っていると、それが他人の目からするとどんなにつまらなく見えるものであったにせよ、それぞれの人生に大きな意味と慰めを与えてくれるはずだ。

 だから今持ってる人は、それがどんなに些細なものであったとしても大事にして、大きく育ててもらいたいと思う。まった持ってないという人は、持つように心がければいい。

 もっとも、その場合、どんな壺を持てばいいのかは、自分で見つけ出さないとならない。他の人が持ってる壺中天は参考にならないだろうから。

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