トルコ旅行記①〜見渡す限り気球の空中散歩〜
エジプト・トルコ旅行の後半。4日目から。エジプト編はこちらに。
4日目(洞窟ホテル)
カイロ空港よりイスタンブール空港へ。ここから飛行機を乗り継いでカイセリ空港で降り立った。カッパドキア地方は高原が続くような開けた景色で、エジプトとは違った開放感が胸を爽やかにしてくれる。
日も傾いてきたので、ホテルへ直行。宿泊した洞窟ホテルは旅のワクワクを増幅させる力を秘めていた。
夕食では4日目というのもあってか、ツアーの人たちとだいぶ話しやすい雰囲気ができてきた。ぼくがビュッフェに置いてあった青リンゴを丸々1個かぶりついていると、「それ実際どうです?」とみんなが話しかけてくれた。リンゴ食べてよかった。
翌日は早朝から気球に乗るため、早めに就寝。
5日目(カッパドキアの気球で空の旅)
4時起床。眠い目をこすり、出発準備。待ちに待った、気球の日。幸い天気はよく、決行できそうな予感。ポワポワと期待に胸を膨らませてバスに乗り込む。
開けた高原に着くと、巨大な気球が巨人のように横たわっていた。
寒さに耐えながら、気球がムクムクと大きくなっていくのを眺める。
ぼくが勝手に提唱している「寒いと思い出に残る理論」というものがある。手をこすりながら何かを待ち望んでいる瞬間は、心のアルバムに植えつけられるのだ。今回も「この寒さと一緒に覚えているだろうな」という感覚が胸をよぎった。
気球が十分に膨らんだところで、「乗り込むんだ!」と合図をされる。カゴのような部分によじ登り、ぎゅむぎゅむと一同で肩を寄せる。
気球パイロットが「いくぞお前ら!」的なかけ声をした途端、参加者一同のボルテージは最高潮に達した。両手をあげて思い思いに声を漏らす。
気球は驚くほど自然に宙へと浮かび、空中を滑るように漂っていく。
すでに高く飛び立っている気球、近くを優雅に浮かんでいる気球、後から炎を放ち上っていく気球。360度見渡す限り、幻想的な世界が広がっていた。ここではどんなに適当に写真を撮っても、美しい1枚だけが切り取られてしまう。
高度は最大1000mまで上がる。ふと下を覗きこむと信じられないくらい高いところに来ていると気がつく。でもまるで夢のような世界に浸っていたので、少しも怖く感じなかった。そして上空で日の出を迎える。
思わずため息が漏れてしまうくらいの神秘さがあった。旅行に来る前に失恋をしたけれども、なんだかそんなことはとてもちっぽけに思えた。自分が想像したこともない景色が、どうやら世界にはまだまだたくさんあるらしい。
目を開き、ジリジリと音が鳴りそうなほどに心に焼き付ける。視線の先に広がる高原、生きもののような気球、大自然の中で形を宿した岩。ひとつたりとも忘れたくない。ずっと瞳に景色を映していると、目元が湿ってきた。これはなんだろう。涙なのかな。今、自分がどんな感情なのかも掴みきれない。
どう書いても表現力がなくて伝えられないけれど、目にしていたのは「死ぬ前に見れてよかった」と思える光景たちだった。
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約1時間の空中散歩を終えて、気球はだんだんと高度を下げていく。現実世界に戻ってしまうようで、とても名残惜しい。
無事に地上へ着陸すると、気球パイロットが「Chapagne party!」と明るく声を出した。「冗談でも言ってんのかな」と思っていたら、手際よくパーティの準備が進められた。
愉快すぎる世界観に、親友のミネ君が「なんて上質なエンターテイメントなんだ…」と声を漏らしていた。
シャンパンを片手に、地上から空に浮かび上がっていく気球たちを眺める。まだ夢に片足を突っ込んでいるような気分が抜けない。ここでもパシャパシャと写真を撮っていた。タイミングを気にせず撮影してもらっていると、変な1枚も撮れた。
そもそも気球パイロットの方は、早朝にフライトしたあと、どんな生活を過ごしているんだろう。日中は別の仕事をしているのだろうか。聞いておけばよかった。
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空の旅を終えた後は、パシャバーへ移動し岩めぐり。
カッパドキアは火山の噴火による繰り返しで地層ができている。その後、雨や川の流れで下の部分だけが流されることで、特徴的な形の岩が生まれるらしい。特にラクダ岩は意図したかのようなレベルのフォルムだった。
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昼食は「壺焼きケバブ」のお店へ。
壺の中に肉と野菜が甘辛く焼かれたケバブが入っており、ごはんが進む。
近くの席に同じツアーに参加している親子(母娘)が座っていた。ふとお母様の携帯を見ると、ケースに本屋大賞をとった『成瀬は天下を取りにいく』のステッカーを挟んでいた。
思わず「わっ! 今めっちゃ読みたい本なんです!」と声をかける。お母さんと本トークをしつつ仲良くなった。本は偉大。
ランチ後はギョレメ野外博物館へ。ここには7世紀から11世紀ごろに作られた洞窟内の教会がある。当時イスラム教に迫害されていたキリスト教徒が、世間の目を忍んで掘り進めたものだ。
ガイドさんがかなり熱っぽく歴史を語っていたけど、ベースとしてキリスト教の歴史における知識が薄いために感情移入しきれなかった。エジプトでは予習したがために古代エジプト人に想いを巡らすことができたため、「勉強が足りなかった…」と反省。当時のキリスト教徒がどのような状況だったのか知っていれば、彼らに想いを馳せることができただろうな。
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続いてはカイマクルの地下都市へ。こちらは地下に居住用の穴が掘られている場所。アリの巣のように広大で、案内用の矢印がなければ簡単に迷ってしまうような空間だった。
信じがたい規模の空間をいつ誰が利用していたのか、完成させるまでにどれほどの時間を要したかなど、地下都市の真相は謎に包まれているらしい。ピラミッドしかり、世の中にはわかっていないからこそ惹きこまれてしまうものがある。
そして日が暮れはじめた。夕陽が眺められるスポットに移動し、渓谷の間に沈みゆく太陽を眺める。
目に焼きつけるべき景色を今日だけで見すぎて、「心が絶景と思う基準」が壊れてしまっていないか不安になる。目と心に贅沢な1日だった。
そして今日1日で思ったことだが、トルコ人ガイド(ムッさん)がイケメンすぎる。40代のイケおじなのだけど、見た目はもちろん中身がカッコいい。
ぼくが座って渓谷を眺めていたときのこと。ふと立ちあがろうとすると、ムッさんがスッと手を背中に回してくれた。しかも「気をつけて」とスマホのライトで足元を照らしてくれる。「イケメンの魅力は国境を越える」と強く感じた瞬間だった。
しかも、その後は突然肩を組んできて、「ねぇ、あそこのカップルいるじゃん。あれ彼女がわがままで、彼氏がしぶしぶ望みを叶えてる関係だと思わない? 彼氏の表情見てみなよ」と話しかけてきた。
突然の男子トーク! 高校の部活の同期だったっけ? と勘違いしてしまうくらいの距離感に倒れそうになった。トルコのフランクさ、恐るべし…!
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夕食の時間では、今日1日でツアーの人たちとギュッと距離が縮んでいるのを感じた。特に何かあったわけではないのだけれど、気球の中でともに感動を分かち合ったせいか、勝手に仲が良くなっている気がする。
30歳の女性3人組で参加していた方たちがおり(心の中でエレガンス三姉妹と呼んでいた)、おしゃべりしたことが印象に残っている。
「20代のうちにやっておいたほうがいいことってありますか?」と訊いたときに、1人のお姉さんが「欲しいものはできるだけ買っておきなさい!」と言っていた。独身のうちは自分だけでお金の使い道を決められるので、今のうちにとことん好きなものに投資しなさい! というメッセージ。
そもそもこの海外旅行すら「高すぎるからやめよう」と友人に反対していたけれど、結果的に「来てよかった」と思っている自分の心にスーッと入り込んできた言葉だった。
お金がたくさんあるわけではないけれど、感受性が高くて、大きな決断も自分の範囲でおさまってしまう今この瞬間。人生のボーナスタイムと捉えて思い切ったことをしてもいいのかもしれない。心のストッパーがカチャリ、と音を立てて外れた心地がした。
この日はツアーの人たちと夕食の終了時間9時ギリギリまで語り合っていた。おしゃべりを終え、「それじゃあおやすみなさい。また明日!」と散り散りに各自の部屋へ戻っていく。
トルコで見た美しい景色の数々はもちろん、たまたま出会った人たちとの会話と、手を振り合った瞬間も、なんだかずっと忘れない気がする。
〜つづく〜