中学社会科のネタ帳その15 藤原氏の台頭
荘園が広がっていくと、人々は荘園を守るためにも、荘園を権力者に預けます。
平安時代、権力を握っていたのが藤原氏。藤原氏は多くの荘園を持っていました。
また、口分田=国から与えられた田を管理していた人→国司と言いますが、これを任命していたのも藤原氏。なので、国司に任命し続けてもらうためにも、国司の中には藤原氏に賄賂を送る人も多くいたそう。藤原氏が、口分田や荘園を管理する権限を握っていたというイメージです。
特に権力を握ったのが藤原道長、頼通の時代。
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」は藤原道長が詠んだとされる、とても有名な歌です。
藤原氏の政治は摂関政治と呼ばれます。自分の娘を天皇の妃とし、天皇が幼い時には摂政(せっしょう)、成人すれば関白(かんぱく)として政治を行っていました。
どちらも簡単に言えば、「天皇の補佐」です。
補佐に就任し、実権を握り、政治を行いました。
聖徳太子も、推古天皇の摂政でした。
また、豊臣秀吉は、関白に就任しました。彼の目指す地位は、武士の1番ではなかったんでしょうね。
後々、武士の世の中においてどんな役職に就くのかで、その人物の目的はわかりやすくなります。
また、藤原氏は朝廷内では官職を独占していました。主な官職23人の中で、19人が藤原氏だったそう。
大河ドラマを観ても、藤原の氏が多数ですよね。
では、平安時代はどのような文化が栄えたのか?
次回に続きます。