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自堕落・自意識・貧乏上等-『くっすん大黒』町田康(1995年)

 (2,051文字)
 2018年3月10日に町田康さんにお会いした。イベント前の町田さんは無表情でおとなしく、なんだか怖い印象だと思ったが、話しだすとずっと笑わされた。
 私は質問カードに人生相談を書いた。「希望が持てず、虚しく、自信がない。どうすればいいでしょうか」と。町田さんは真面目に答えてくれた。意外だった。
「人生はどういうものか。人の人生を見てると楽しそうに見える。いい感じやなと。自分の中で貸借対照表を作るしかない。バランスを。自分だけで考える。他人と(比べて)考えるとどうしても負ける。」
 嬉しかった。他の質問にあっさりと一言で答えるものもあったので、なおさら。帰りに列に並び、初めて読んだ町田さんの小説『実録・外道の条件』にサインしてもらった。「大黒っていうんです」と言ったら、私を凝視したまま無表情に「くっすん大黒やね」と言ってくれた。だから読み始めた。

 三年前、ふと働くのが嫌になって仕事を辞め、毎日酒を飲んでぶらぶらしていたら妻が家を出て行った。誰もいない部屋に転がる不愉快きわまりない金属の大黒、今日こそ捨ててこます。日本にパンクを実在させた町田康が文学の新世紀を切り拓き、作家としても熱狂的な支持を得た鮮烈なデビュー作。野間文芸新人賞・Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。「河原のアパラ」併載。

文庫本あらすじ・加筆

 無職で酒浸り、さらに妻にも出て行かれて無一文の“自分”はへらへら顔の大黒の置き物を捨ててこよう、と家を出る。
 町田さんのイベント当選が決まってから本屋で冒頭を立ち読みした。1行目を目にした途端、一気に読み進められ、町田康の文体はデビュー作から異才を放っていたことを体感した。

 もう三日も飲んでいないのであって、じつになんというかやれんよ。ホント。酒を飲ましやがらぬのだもの。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの? あきまへんの? ほんまに? 一杯だけ。あきまへんの? ええわい。飲ましていらんわい。飲ますな。飲ますなよ。そのかわり、ええか、おれは一生、Wヤングのギャグを言い続けてやる。君がとってもウイスキー。ジーンときちゃうわ。スコッチでいいから頂戴よ。どや。滑って転んでオオイタ県。お前はアホモリ県。そんなことイワテ県。ええ加減にシガ県。どや。松にツルゲーネフ。あれが金閣寺ドストエフスキー。ほんなやほんまやほんマヤコフスキー。どや。そろそろ堪忍して欲しいやろ。堪忍して欲しかったら分かったあるやろな。なに? 堪忍していらん? もっとゆうてみいてか? 毒症なおなごやで。あほんだら。

『くっすん大黒』冒頭

 とにかく笑わされる。電車で読んでたんだが、変な人と思われるとわかっていても可笑しくて笑い、口許をおさえた。ゴミが投げ込まれている街中のプランターに大黒様を捨て置こうとして警察に捕まってしまうところとか。

 他のゴミを全部いったんプランターから取り出し、細心の美学的注意を払いつつ、ひとつひとつプランターに戻していった。何回かのやり直しを経て、なんとか満足できるものになったので、余ったゴミをコンビニエンスストアーの前のごみ箱に分別して捨て、完成した大黒プランターの最終チェックをしていると、ふと視線を感じて道路の向こう側を見ると、ぴかぴかした近代的な交番があって、内部から巡査がこっちを見ているのである。
 しまったことになってしまった。ゴミを並べるのが別段、犯罪を構成するとも思えぬが、自分は、ぼさぼさ頭で髭も剃っていないし、何日も着たままの寝巻着兼用の普段着にどてらをひっかけている。ここ数週間、風呂にも入っていない。胡乱なやつ、その大黒はいったい何だと疑われ、冤罪事件に巻き込まれなどしたら大変である。慌てて行こうとしたが、屏風のように仕立てた新聞紙で大黒をくるみ直すのに手間取っている間に、巡査はかつかつ車道を渡ってこっちにやってきてしまった。

『くっすん大黒』P.18〜19

 パンクバンドのメンバーだった町田康が、なぜこんな途切れのない妄想を書き連ねられたのか、わからない。バンドの曲もこういうテンションだったのか?

『くっすん大黒』口絵写真 左手あやとり

 町田さんの小説には無職でかつ働く気もないとか、貧乏とか、『告白』(2005年)の熊太郎のような自意識に苦しんで駄目になってしまう人物が出てくるが、私はそのカッコよくない登場人物を見せてくれることに感謝している。今の私は。社会の下みたいなところにいて、でも生きてる。「河原のアパラ」のうどん屋の給料が「僅々十二万円あまり」という具体的な数字。こうして、自堕落でもへらへらしてても泥臭くても生きている。私生きていけるって思わせてくれる。
 「これね、“大国町”が大黒って字になってるんですよ」と該当ページを見せながら用意したことを話したら、町田さんはぐりぐりした大きな目で私をじっと見つめて、これ以上ないほどの真顔で「ほんまやね」と呟いた。

『実録・外道の条件』初版 P.138

(2018文/修正・転記)

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