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この生を生ききれー『人間』又吉直樹(2019年・文庫加筆版2022年)

 (2,221文字)
 『火花』が芥川賞をとったとき、わたしはすぐに彼のエッセイ『第2図書室補佐』を買いにいった。前々から狙っていたこの文庫本の帯が「祝・芥川賞!」とだけ書かれたものに替えられる前に。

 38歳の誕生日に届いた1通のメールが痛恨の記憶を呼び起こす。漫画家を目指し上京した永山が住んだのは、美術系の学生が集う共同住宅・通称「ハウス」。住人達との生活の中である騒動が起こりすべてが打ち砕かれるー。
 何者かになろうとあがいた青春と何者にもなれなかった現在、上京以降20年の歳月を経て永山が辿り着いた境地は? 自意識にもがき苦しみながらそれでも生きていく「人間」を描いた又吉直樹の初長編小説が、単行本では描かれなかったエピソードを加筆し、待望の文庫化。

『人間』角川文庫 より

 今年の誕生日にこの本を知ったから、“誕生日にメールが来た”ことから始まる本作に運命を感じた。
 読み始めて少しして、全体的にバーのような薄暗い世界を感じる。夢や才能や将来への不安に押し潰されそうな主人公ー或いはわたしの今の心情に呼応してそう感じたのだろう。

 学生のときみたいにシャーペンでガリガリと線を引きながら読んだ。たとえばこんな言葉だ。

 他者の活動に動揺させられるということは、自分に期待しているということに他ならない。自虐を尽くして傷だらけの状態なら、もうどこも傷をつけられる心配などないはずなのに、しっかりと嫉妬で身をえぐられた。(P.234)

「自分で自分のことを悪く言うわけがないという信憑性の薄い前提の上でしか成り立つことのない、人が陥りがちな錯覚やとおもう。(略)結局は自分のことを特別視し過ぎてるんやとおもう。」(P.310)

 嫉妬するとき、自分の時間を振り返ると恥ずかしくて狂いそうになる。(P.312)

『人間』より

 作中には芸人で、芥川賞を受賞する「影島道生」が登場する。彼の設定はさほど思慮深く読まなくても、又吉自身のそれに思えた。
 芥川賞をとってすぐ、又吉が同棲していた恋人と破局したと報道があった。そうなんだくらいにしか思っていなかったが、後に本人が否定していた。なぜそんな勝手なことを週刊誌が書き立てたのか、疑問だった。
 “芸人”の又吉が文学賞をとったことで小馬鹿にする連中が出てくることは予想できた。メディアの取り上げ方にもげんなりした。翻訳家で書評家の都甲幸治さんの対談本『きっと、あなたはあの本が好き。』の中で、『火花』について、職業差別について書かれていて、少し溜飲が下がった。

 好きだったのは第一章での、主人公・永山と寮の管理人とのやりとりで書かれた永山の思考だった。相手の表情や何を思っているかをつぶさに観察して、自分の反応を決めている。同類を観測できて面白かった。

 第三章の永山と影島の会話は、ただ眺めるだけで読み進めてはいけないうつくしさがあった。

「記憶も叙述も一秒が一秒ではない。一秒のことを一秒では想像できない。一秒は一秒より遥かに大きい。その一秒を再現しようとしたら、莫大な労力が掛かる」
「現実ではありえへんほどの費用も」
「そんな一秒をこの瞬間も一秒で過ごしているということが、最も身近にある奇跡」
「確かに。あと、夜空を眺めたときに、他の星と比べて月だけ異常に大きいのに、みんな見過ぎて慣れているという奇跡もな」

『人間』P.323

 目を沿わせているだけでは、重要な一文を見逃してしまうような、ふとこの世を解く言葉が書かれている。

 自分が把握している自身の記憶なんてものはやはりほんの一部分しかなく、おなじ人生であったとしても、どの点と点を結ぶかによって、それぞれ喜びに充ちた物語にも暗澹たる物語にもなり得るのかもしれない。

『人間』P.327

 わたしはよく思う、芥川賞を取る前に書いた彼のエッセイで自分のことを「才能がない」と書いた又吉さんに、「あなたは将来、芥川賞を取りますよ」と。
 「才能がない」という決めつけは、又吉さんのように、自分自身にとっても正しい判断ができないものなのだと。

 途中からひとつの考察をした。永山と影島道生は同一人物ではないかと。或いは影島は又吉直樹ではないかと。わたしがそう考えた根拠はいくつかある。実際の正解はわからないが、幾筋も考えられる作品を書いたことに敬服する。いったい『人間』というタイトルの小説を書ける人がこの世にどれくらいいるだろう。

 第四章に丁寧に書かれた人々の生活の機微は、これまでわたしが直視できないために馬鹿にしてきたものだった。とても書ききることのできない人生の連なり、どうしようもなさと愛おしさに胸がつぶされる。
 最後が近づくと終わってほしくないと思った。一文字一文字が奇跡みたいに感じられた。名護の風景の壮大さから、視界が旋回して描かれた東京の夜空。この小説について話し合いたい。
 目でたどたどしく、最後の一文を追った。

 自分の生きづらさ、不要だと思っていた繊細さが、もし物語を理解するのに適しているのなら、わたしはそれを持っていて良かったかもしれない。もしも、その性質があるほうが又吉さんに近いのなら、わたしはそんな自分を肯定できるんじゃないか。もし、もしそうなら、わたしはこのままでいいのかもしれない。苦しく、明朗でもない、ただうつくしくもあるこの生を生ききれ。

購入:11/4
読む:11/5〜11/11
note:11/9、11/11、11/12

 TK from凛として時雨「copy light」(2020年)
(又吉さんが歌詞の監修・PVの企画原案・出演している。PV上の文章は又吉さん作のはず。)

「TK Personal Photo Book “kalappo 05”」よりTKさんと。

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