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この景色を抱えたまま生きていきたい-『天然理科少年』長野まゆみ(1996年)

 (1,425文字)
 図書館というこの世で最も素晴らしい場所で見つけた。今ある疑問に応えてくれる場所なのだ、図書館は。
 この小説は、14年前私が好きだった人がいちばん好きな小説だと話してて知った。それ以来、度々この小説を思い出し、読もうと思い続けていた。なぜだろう? 私の「読みたい本リスト」は古参のものがたくさんあり、いつも頭に浮かぶのに、実際はほとんど減らない。やっと読むことができた。図書館のおかげで。

 放浪癖のある父に連れられて転校を繰り返す岬は、中学2年の秋にたどりついた山間の町で、小柄な少年・賢彦に出逢う。学級のリーダー・北浦と、賢彦との微妙な関係。賢彦は2年前、忽然と現れる幻の湖で神隠しに遭い、ふらりと戻ったというのだが…。わずか3日間の邂逅と別離の後、岬が知った真実とは?時を超えるみずみずしい成長物語。

文春文庫 裏あらすじ

 とてもとてもとても良かった。すごく好きだ。本を開くと立ち現れる物語。表紙はまさに別世界への扉だった。私はそこで、岬たちの街へ出掛けた。それだけ世界が確立していた。暖かな場所として。

 転居をくり返す澄々木(すずき)親子。「名前を覚えてくれる人もいない」と話す岬の孤独を、自分のそれと重ねて癒す。
 帯に「ぼくたちは、ずっと友だちだったんだよ」と書かれてあった。岬に、実はずっと見守ってくれている友人がいたらいいと思った。それがこの賢彦(まさひこ)だったら。

 特徴的な文だと思ったのは、熟語がよく出てくるところだ。それも聞いたことのない言葉だ。「翼果」とか「蔵書票」とか「林野」とか。そのたびに読み方と意味を辞書で調べた。
 合間に閑談というように、見開きの詩が掲載してある。
 精巧なイラストが描かれているが、作者の長野まゆみ自身のものらしい。これを見るだけでも本を開いてほしい。

詩のような挿入ページ

 美しく、すぐれた児童文学だと思った。
 孤独な子ども時代にこの物語に出逢っていたら、きっとこの景色と共に成長して、心にあの町を抱えながら生きていただろう。もちろん大人になった今もそれはできるだろうけれど、岬や賢彦と同じくらいの年齢だったら、より親くこの景色を感じられたと思う。
 一人で過ごす図書室、渡りろう下から見る夕日、どう言葉にしたらいいかわからない、この漠としたさみしさ。そんな少年のそばにこの物語があったら、心強い。

 何かの作業をしていて、合間にこの本を開くのがご褒美だった。いつも目の端で本の存在を意識していた。丁寧に書かれた清潔な世界。この物語が読める歓びが、本を開くたびに湧きあがってきて、私は確実に幸福だった。

 ここの登場人物たちが、こうして生きていく。そして私も。私には物語が必要だ。
 私は『乳と卵』の感想文で、「苦しい」よりも「生きられない」よりも、「人生」は上、と書いた。物語を読むことでこの世の美しさを知る。そしてその美しさがあるから、生きよう。物語を信じている私だから。苦しみながら生きている人も、どうやらたくさんいるみたいだから。
 どこへでも行ける。人生はつづいていく。美しさはある、少なくとも本のなかに。私の心に景色を増やしていこう。そこには、岬も賢彦も梓も、緑子も巻子も杏奈もいる。十和子も銀色夏生も川上未映子も河合香織も柳美里も。私のなかに永遠にいる。私のそばに。

(2021年・文/転記・修正)


岬・賢彦・梓:『天然理科少年』
緑子・巻子:『乳と卵』
杏奈:『思い出のマーニー』(映画)
十和子:『彼女がその名を知らない鳥たち』

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