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平坦な人生に憧れる(けどそんなものないんだよね?)ー『バリ山行』松永K三蔵(2024年)
(1,516文字)
作者の松永K三蔵さんのnoteをフォローしたらフォローバックしてくれたから、もしかしたらご本人がこの文章を読むかもしれない。と思ったら書けないから、読まないと決めつけて書いていく。
第171回芥川賞受賞作。
古くなった建外装修繕を専門とする新田テック建装に転職して2年。会社の付き合いを極力避けてきた波多は同僚に誘われるまま六甲山登山に参加する。職人気質で職場で変人扱いされ孤立しているベテラン社員・妻鹿があえて登山路を外れる難易度の高い登山「バリ山行」をしていることを知ると……。
会社も人生も山あり谷あり、バリの達人と危険な道行き。圧倒的生の実感を求め、山と人生を重ねて瞑走する純文山岳小説。
2024年6月に朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』と同時に芥川賞を受賞した。
クセのない堅実な文章で話の構造が掴みやすい。その確かさが、体を使い足場を必要とする登山に適合していた。目にしたことのない難しい漢字表記が多かった。峪(たに)懼れる(おそれる)攀じ登る(よじのぼる)顫える(ふるえる)痞える(つかえる)など。
「人生山あり谷あり」を地でいく小説。
山の描写は非常に説得力のあるもので、作者が実際に目にしたものを書いた信頼と確かさを感じた。登山に誘なう作品だ。
同時に、主人公たちの勤める会社の事業や仕事の進め方のディテールが細かくリアリティがある。一般企業勤務の経歴がある作家ならではだと感じた。読んでいて逃げ道のないきっちりさに苦しくなった。
主人公と妻鹿さんの「バリ」(通常のルートを辿らない独自の道をいく登山のこと)の情景描写は美しく、山好き共感の小説だろう。ただわたしの肺活量のなさと気管支炎体質では呼吸困難を想起させた。
峪が奥まるにつれて倒木や落石が増えた。岩が峪間を埋め尽くし、折れた樹々が組み合って行く手を阻む。遅れる私に構うことなく妻鹿さんはどんどん先に進む。幹だけになった朽木は色褪せて白く、それが幾重にも折り重なって峪の先が煙るように見えた。そこにもはや景色と言えるような穏やかさも調和もなかった。崩落の力をそのまま残し、観る者のいない混沌があった。その中に躍り込んで行く妻鹿さんが見える。それは滑稽なほど快活だった。
妻鹿さんは主人公とちがい、傾きかけた会社のことも意に介さない。
自然と対峙すれば人の営みなんてちっぽけ、まではいかないが、心持ちは全然ちがうだろう。大好きなミュージシャンのライブに行ったら日常の些末な出来事などどうでも良くなる、あの感覚だろうか。と思ったが、山登りはまったくの命懸けで、単なる非日常行為とは全然違っていた。
こないだ読んだ新潮新人賞受賞で芥川賞候補の『ダンス』(竹中優子)でも思ったが、わたしたちは人生のピンチだと思っても、いつかなんとかなるのだろうか。そしてそのもがいてる様を「踊ってる」「登山の苦しみのほうが本物」って思えたらいいのだろうか。そうしたらこの小説の妻鹿のように、冷静でいられるのだろうか。わたしは主人公の波多と同じで落ち着いていられなかった。
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芥川賞を取ったからだろう、松永K三蔵の2021年のデビュー作『カメオ』が3年経って出版された。群像新人文学賞は次の賞をとらないと書籍化してくれないの? 今回の芥川賞候補の『字滑り』(永方佑樹/『文學界』2024.10月号)も書籍化が見送られたし(いちばん好きな候補作だったのに…)。
最近芥川賞候補作、芥川賞受賞作と、今まで読んだことのない小説世界を読んでいて、とても興味深かったけれど、帰りたい。現代女性作家の作品に帰りたい!
購入:2024.9/16
読む:2025.1/31〜2/6
note:2/6