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十年前からの宝物-『犬とハモニカ』江國香織(2012年)

すれ違った人たちの一瞬の交錯

 (1,566文字)
 江國さんはいつからか三人称でしか小説を書かなくなった。
 わたしはそれをずっとさみしく感じていた。『きらきらひかる』『落下する夕方』『すいかの匂い』…わたしが夢中になって小説を読むようになったきっかけは江國香織で、それらはすべて一人称だったから。主人公とわたしの垣根が溶けて同質になる一人称に戻ってきてほしかった。

 けれど、この表題作を読んで、江國さんがずっと小説でしたかったことはこれだったんだと思った。さまざまな人が、それぞれの場所で生活し、その背景を持ち寄って出会うということ。
 みんな自分なりの言い分があり、哲学があり、その人固有の行動理念がある。全員が主人公なのだ。それは一人称では書き表せないことだった。

 激賞を浴びた川端賞受賞作を始め、あたたかな淋しさに満たされる、六つの旅路。
 外国人青年、少女、老婦人、大家族……。空港の到着ロビーで行き交う人々の、人生の一瞬の重なりを鮮やかに掬い取った川端賞受賞の表題作。
 恋人に別れを告げられ、妻が眠る家に帰った男性の心の変化をこぼさず描く「寝室」。
  “僕らは幸福だ”“いいわ”――夫婦間の小さなささくれをそっと見つめた「ピクニック」。
 わたしたちが生きる上で抱え続ける、あたたかい孤独に満ちた、六つの短編集。

あらすじ 新潮社HPより

 2004年から2011年までのバラバラの媒体に掲載された6つの短編小説を一冊にしたもの。このうち3編は別のアンソロジーにも収録されている。わたしは2作品を別の場所で読んでいたが、今回律儀にもう一度読んだ。

 表題作「犬とハモニカ」は優れた短編小説に贈られる川端康成文学賞を受賞した。
 舞台は飛行機内と空港だ。性別や年齢どころか国もちがう、実にさまざまな人が出てくる。何度も視点が変わり、偶然その場に居合わせた人たちの人生が交錯する。言ってみれば主人公は「すれ違う交錯した人生」だ。これを物語にした新しさに驚いた。

 三人称は、本人すら知らない過去や性質も書ける。

 事実、彼は赤ん坊のころからこの姿勢で寝ることを好んだので、ガールフレンドの指摘は図らずも正しかったわけだが、赤ん坊のころのことを、無論本人は憶えていない。

『犬とハモニカ』単行本P.9

 長編『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』でも、たくさんの登場人物を三人称で書いて、それぞれの立場からその人生が交わるのを読者に見せた。登場人物たちは自分なりの倫理と言い訳をもって、恋したり結婚したり不倫していた。

  『きらきらひかる』は一人称の小説だけど、章ごとに交互に語り手が変わったので、二人の視点で物語を読むことができた。
 みんなが自分の人生を生きているのを感じた。

 わたしも誰かの人生の一部に登場したんだ。
 出来事自体は忘れられても、すれ違ったり少し言葉を交わしたりして、わたしも誰かの人生に存在し、誰かもわたしの日々に通りかかった。
 この小説の視点を把握しているのは作者と神様だけだ。


 この本は10年前、文学バーのイベントで江國さんにサインして頂くため急遽買ったものだ。元々持ってきていた本にコーヒーをこぼしてしまったので、本屋に寄り、そのときの最新作を購入した。
 サインしてもらったあとは汚したくなくて、本屋のカバーをしたまま本棚にしまっていた。

お話もした!

 江國香織に出会わなければ、わたしは村上春樹も山田詠美も吉本ばななも知らなかっただろう。無趣味で、書いて考えることもなく、今知り合っている人たちとも出会えなかった。
 人生が、どんなものも豊かだと感じられて、好きだと思える。小説は言葉によってこの茫漠とした人生に鋲を打つことができる。わたしにとってそれらはすべて江國香織さんから始まった。江國さんはわたしの世界を創ったと言っても大げさではない。

購入:2014.11.16
読む:2/13
note:2/13

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