物語を生きたくなるだろう-『箱の中のあなた』山川方夫(2022年刊行/1959-65年作)
子どもの頃、星新一を浴びるほど読んだ。一編がすぐ終わるのがどんどん読めているようでうれしかった。エヌ氏だとかエス氏だとか、頭文字だけにされたカタカナ表記の登場人物は、小学生の私には外国人よりも未来人に思えた。
あれが私の読書の始まりだった。
だから、ショートショートの本と聞いて、すぐに思い浮かんだのは星新一だった。どの時代か、どの系統か、誰と親しいか、まったく知らない作家・山川方夫を知れて嬉しかった。
2022年刊行のちくま文庫の表紙は素敵で、さらに時代がわからなくなる。
本屋でパラパラめくると、そのはじまりの切り口の鮮やかさに、ショートショートという形式に、これを読めばきっと物語を書きたくなるだろうと思った。
でも、読みはじめて別のことを感じた、“私も物語のなかに生きたい”と。誰の人生も物語であることを思い出した。
もしかしたらこの人はいちばん芥川龍之介の作風を感じる作家かもしれない。なにもないと思える日常から物語を生みだせる人ではないか。
人生はただ過ごすだけでは、繰り返しの日々で、何もないように感じることがある。こうして過ごしているうちにいつか死ぬのだと。
でも、そうではないのかもしれないと思わせるのが芸術で、なかでもいちばん日常を描き出しているのが文学なのだ。
私たちはただ生きているだけではない。物語の中を生きている。
永遠に思える茫漠とした人生を切り取り、今目に映るランプも、その明かりも、これを書いている手も、空も人も自分も、一回限りの人生に登場する崇高なものだと気づかせる。
山川方夫のこの掌編小説に書かれた日常の中に浮かぶ思索に、日々の意味を思い出した。
芥川の「蜜柑」「あばばばば」「蜃気楼」のような。
良いなと思ったのは、山川方夫の多様な視点だった。たとえば芥川の「秋」のような女性視点の作品も違和感なく書ける巧みさ。
《とくに好きだった作品》
「赤い手帖」P.54
偶然拾った手帖の持ち主の辿った結末に、人生を思う。
「お守り」P.149・152
自分は唯一の自分であると思いたいのに、その他大勢ではないかと思う不安、もがき、恐怖。そしてそれを打ち壊してくれる或る“お守り”。
「猫の死と」P.216~235
猫の死とともにその家の変革期が書かれていて、猫好きなのもあって好きだった。一家の流れを俯瞰で見てるみたいな。
「『別れ』が愉し」P294~295
自分の人生を小説や映画のセリフ・場面を散りばめて過ごす男を、その友人視点で観察した作品。
私も小説と現実の境をあいまいにして生きたいと思っている。現実はコントロールできない。だから私は自分の中を物語で満たして、今いる現実から少しずれたまま過ごしたい。
「蛇の殻」
「遅れて坐った椅子」
三人称の女性視点小説。山川方夫はどうしてこんな目を持っているんだろう?
なんてことないできごとに意味を感じる思索こそ人間の尊さだ。
巻末に星新一・都筑道夫との座談会「ショートショートのすべて」が収録されている。
私はここで、『ようこそ地球さん』のあとがきしか記憶にない星新一の肉声を初めて聞いた気がした。
それにしても人に教えてもらった本なら読み通せることに気付いた。
ジョージ・オーウェルの『1984年』も声優の下野紘さんが読んでたから、修行に耐えるようにしながらどうにかして読了できたし。自分が選んだ本なら油断すると途中でやめてしまう。
好きな本があったらぜひ教えてください。
2024/2/29 購入
2/29~3/27 読
3/31 note書く
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?