“自立“
私は今大学生で、20歳を過ぎても未だに経済的に自立できていない。そんな自分を未熟だと思うとともに、両親に対してどこか負い目や申し訳なさを感じていた。沢山バイトをして何とかやりくりしている友人を見ると、「自分は恵まれているんだな」と実感する。しかしその一方で、経済的に自立している彼らを羨ましく思う自分もいた。
私は、親に言われたことではなく、自分の価値観に従って行動しているし、掃除・洗濯など身の回りの雑事も自分でこなせる。だから、周りの大人たちからは「自立しているね」と言われることが多い。それでも、経済的に自立できていない自分のことを、自立しているとは思えなかった。
どうしてそこまで経済的自立にこだわるのか?
それはおそらく、経済的に自立しさえすれば、一人で生きていけると思っていたからだろう。そして、自分一人の力で生きていけるようになって初めて、一人前の大人として認められると思い込んでいた。逆に言えば、誰かに頼り、一人で生きていけないうちは人間的に未熟なのだと無意識に信じていたのだろう。
さらに言えば、早く自立して周囲から認められたかったのだと思う。心の奥底にある承認欲から、自分の力で何でもできる優れた人間を目指すべきだと思っていた。しかし、実際にはそんな状況からは程遠く、未熟な自分を非難すると共に、一刻も早く自立しなければと焦っていた。
だが、この自己否定、焦り、両親への負い目は果たして正当なものだろうか?
自立した人間、すなわち何でも自分でできる人間を目指すべきだという考えは本当に正しいのか?
個人主義が主流の現代では、個人が自立すること、つまり何でも自分の力で成し遂げられることが良しとされている。いつまでも自立できない人間は未熟で劣等な存在だとみなされる。
けれど、実際にはそんなこと不可能だ。約2500年も前にブッダはこの本質を見抜き、「あらゆるものは相互に依存している」という縁起の法を説いた。別に難しいことではない。個の完全な自立が不可能であることは、ほんの少し想像力を働かせてみれば明らかだろう。例えば、仮に経済的に自立したところで、野菜を作ってくれる農家さん、近所のスーパーの店員、他者の存在なしには生きられない。そもそも、両親が私を産んでくれなければ、今の私はあり得ない。あらゆる他者に依存せず、一切を自力でこなすなんて最初から無理ゲーだのだ。達成できないものを追いかけて、達成できないことを嘆いている。そんなバカな話があるだろうか?
確かに、身分制が深く根付いていた近代以前の社会では、個人の権利を獲得することが重要であったのかもしれない。しかし、現代ではかえって、「自立した個」という価値観が重視され過ぎているように思う。「自分の力で何でもできる人間が優れている」「確立した個がなければならない」という考え方が支配的すぎるのではないか。そのせいで、多くの人が“自立“できない自分、“個性“を見いだせない自分に苦しんでいる気がする。
そこで、現代に合わせて“自立“という概念をアップデートしてみよう。人は他者に依存することなしには生きられない。ならばいっそのこと、この事実を否定するのではなく、素直に認めてみてはどうだろう。他者に依存する私を肯定した上で、どう生きるか、他者との関係がどうあるべきかを考えてみるのだ。
ここで、東京大学先端科学技術センターの熊谷准教授による”自立”の定義を紹介しよう。彼によれば、”自立”とは「依存先を増やすこと」だ。これは一見すると自立の正反対のように思えるかもしれないが、説明を聞くと非常に納得できる。彼は生後すぐに脳性麻痺になり、他者のサポートなしには生きられなくなった。親と同居していたときは、依存先は親だけだったため、親がいなくなる不安が拭えなかったそうだ。しかし、大学入学とともに一人暮らしをするようになって、友人や近所の人々など頼れる先が増えていった。それに伴い、誰か一人に強く依存しなくてよくなり、自分の依存先がなくなるではなないかという不安が激減したらしい。
要は、沢山の足場を確保しておくことで、一つの足場に執着せずに済み、他者に適度なバランスで頼れるようになるのだ。この”自立”の定義こそは、他者に依存せずにはいられない人間の運命を反映し、何でも自力でやることが良いことだという現代に強固な価値観に疑問を呈するものではないか。
私たちは沢山の思い込みを抱えて生きている。思い込みとは無意識に前提としていることであり、それ自体は悪いものではない。もし思い込みがなければ、日常生活はもっと複雑で困難なものになっているだろう。しかし、それらは恣意的なもので、絶対に正しいものではない。にもかかわらず、思い込みによって私たちはしばしば不必要な苦しみを抱く。中にはどうにもならないような問題もあるかもしれないが、そのほとんどは前提を疑ってみるだけで解消できる。ならば手放せば良いんじゃないか。根拠なんて初めからないのだから。