障害のはなし
精神科への受診のきっかけは前の職場でセクハラ被害を受けたことだった。
動悸や混乱胃痛腹痛倦怠感希死念慮でめちゃくちゃだった。
「死のう」と確かに思った瞬間があった。
とりあえず死ぬ前に親に話し、とりあえず死ぬ前に病院に行くことをした。
とりあえずがあったからいまわたしは生きている。
次の日近くの総合病院に行った。
その日から精神科に通うことになり
今日まで精神科にかかってきた。
精神科に通う中で自分のことが見え始めてきた。
急性ストレス障害
→うつ病
→躁鬱
今たどり着いたのはこの時点である。
急性ストレス障害が落ち着いてもずっと横にある生きづらさは消えることはなかった。
だから急性が落ち着いた今日も精神科へといそいそと通っている。
生きづらさと生きるためにだ。
いままで自分と同じように生きづらく常に死にたいものだと思っていたが、みんなそうだと思っていたことは"そう"ではなかった。
常に体は重く、世界は灰色で、生きる気力はない。
どうやら他の人は死にたいは常に横にいないらしい。
それを知った時の衝撃足るや。
自分の場合は恐らく双極性障害と呼ばれるものである。
常に下の鬱状態ではなく1ヶ月に一度くらい無敵モードがやってくる。
マリオのスター状態。全能感というものだ。
長くて一週間弱ほど。
最近はそういえば薬のせいか全能感はやってこないな。
全能感=躁状態が終わるとやってくる鬱状態。
双極性障害の辛いところは躁状態と鬱状態の落差や波の大きさにあるとおもっている。
自分ではその波を制御するのは難しく大きな波に振り回され疲弊してしまうというイメージである。
外側からすれば何の変化もないように思われ、下手をすると躁状態の無敵モードの時に思わぬ働きを見せてしまうため、この人はすごい。と誤解されてしまう可能性を秘めている。
無敵モードの状態が"その人"であると誤解され、鬱状態の時もそれを保たなければと無理をしてしまう。
身体的には見えなく他人から理解されにくい点にこの障害の難しさを感じる。
自分から発信していくしかないのである。
それは恐ろしく勇気や労力が必要なことでありとても難しい。
そもそもわたしの場合はHSPも素質としてある為、人にこの障害のこと自分の性質のことを理解してもらい、配慮してもらうことが怖くて仕方がないのである。とても怖い。
精神科に通い続けたり自問自答を繰り返し自分のことを分析しここまで言語化出来ることができた。
最近は人に伝える練習もしている。
えらい。と自分を褒めよう。
そんな自分でもこうなりたいという理想に向かって頑張ろうとしている。
えらい。
頭の中は常に思考状態であり薬がなくてはなかなか寝付けない。
自分と付き合っていくのが一番難しい。
今日もしがなく生きるを頑張るのである。