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部活、そして成長
小学校4年生。ここから私の部活歴は始まった。2014年4月のことである。
私が通っていた小学校はとても小さな学校だった。全校生徒は100人とちょっと。それもあってか委員会とかの活動も4年生から始まるものが多く、部活もその一つだった。
小さな学校だから人数は少ない。部活は「運動部」と「音楽部」の2つしかなかった。近所の他の学校では「運動部」は「ミニバス部」と「陸上部」にわけられていたそうだ。
今まで音楽に触れた経験はむなしく、当然楽譜なんて読めない。小学生の僕が運動部に入部しようと思ったのは順当だった。足はそこそこ速いと思っていた。まあ、所詮20人ほどのクラスの中でだが。こうして運動部に入部することになる。
◆◆◆
入部してすぐミニバスの練習が始まった。ミニバスとは「ミニバスケットボール」のことで小学生向けの小さなコート、低いリングで行われる。今でこそ小さいと思えるミニバスも、当時の僕は見上げるほどの大きい壁のようなものだった。
なれないバッシュになれないボール、なれない動きに大変だった。見るもの触れるもの全てが初見。当然うまくいかない。同級生の前でミスするのは茶飯事、6年生の前でミスして先生に怒られたときのあの感情は今でも忘れない。僕はみんなに取り残されていく孤独を感じるとともに、もっと上手くなりたいと向上心を持つようになった。
そうして練習を積み重ねて、ミニバスの大会が来て、当然のように5・6年生が出て、ミニバスのシーズンが終わった。蒸し暑い6月。次は陸上の季節が始まった。
4年生は100mに取り組むことになっていた。もともと走ることが得意だった僕は順調に速くなっていった。そして、100mに5年生がいなかったこともあって、5年生以下の100mの種目で大会に出た。このような大会に出るのは初めてで、緊張した、というより大会の雰囲気に置いていかれたというような感じだった。大会はすぐ終わった。結果は下から4番目くらい。大きな成長と少しの悔しさを知った10月のことであった。
陸上が終わったら、地獄の日々が待っていた。駅伝の練習が始まったのである。
終わりが見えない部活。早く時間が過ぎてくれと思いながら足を動かしていた。それまでは校庭20周なんて聞いたことがない。そんなの小学生が走る距離ではない、なんて思っていた。しかし、当時の6年生は涼しい顔で走っていた。それは下級生に疲れを見せない表情。力強い足取り。その姿に当時の僕はなんて強く美しいのかと思っていた。先生の出す試練に、信頼で応える6年生。大きな背中は確かな6年生という存在を表しているようだった。凍える師走のことだった。
◆◆◆
5年生になり、大きな6年生はいなくなり、新しく4年生が入ってきた。狭間の5年生は、今思うと一番苦難の年だったかもしれない。新しい6年生は特に人数が少なく、新しい4年生は破竹の勢いで成長して後ろから迫ってきていた。
再びミニバスの季節がきた。昨年よりも成長を実感していた。6年生が少ないこともあり、僕は大会に出ることができた。しかし、スタメンになったのは6年生が2人と僕、そして4年生の2人だった。
実際、4年生は上手だった。もともと運動神経が良かった子が多かったかもしれない。対して僕はバスケのセンスなど乏しく、努力で成長したかもしれない。4年生の存在は僕たち5年生の脅威をこえて諦めさせるほどになっていた。
4年生に抜かれた同級生たち。プライドを守るためにただひたすら頑張った。しかし、僕にも脅威に飲み込まれる時が来る。
大会ではスタメンで出た。試合が始まり、目の前でボールと敵と味方が素早く動き回る。ベンチにふと目をやると先生がこちらに何かを叫んでいる。何を叫んでいるのかわからない。聞こえない。いや、耳に入ってきているはずなのに先生の声だけがきれいに消されている感じがする。半分パニック状態で半分は自分を見失った。自分がどう動いているかもわからない。そしてすぐ、交代のホイッスルが鳴った。代わりにコートに走っていったのは4年生だった。
そのあとのことは覚えていない。得点も勝敗すらも覚えていない。先生に怒られたらしいが覚えていない。ただ呆然とコートを眺めていた。
不必要な過剰な責任感とプライドに支配され、自分を見失っていた。
蒸し暑さに服を濡らした6月だった。
◆◆◆
2017年3月。僕は運動部部長という大役を務めあげ、期待の5年生、いや新6年生に部活を託して卒業した。僕たちの世代では、陸上大会で走り幅跳び4位の他、走り幅跳びでも入賞した結果を出し、ここ数年一番良い結果を出した。僕個人では6年生で駅伝5区に出場、ミニバスの大会ではチーム2人に贈られる優秀賞をいただいた。
苦しいこと、失敗を何度も経験した。その先にあったのは栄光と後輩たちへの道しるべ。何年も受け継がれてきた小さな運動部を、僕たちもまた次に渡して、旅立っていくのであった。
to be continued …