【エッセイ】"普通"

"普通"っていう言葉が嫌いな人がいる。
"普通"って言われるのが嫌いな人がいる。
"普通"っていう言葉に縛られて動けない人がいる。

生きたいように生きよう、やりたいことをやろう、好きなことを好きでいよう。この多様性の時代に"普通"って言葉はちょっと不釣り合いだ。世間一般の過半数の意見である"普通"に従って生きるのは、なにより、つらい。"普通"とずれてる私が言うんだから間違いないし、私以上に"普通"とずれてる人の気持ちなんて計り知れない。

"普通"っていうのは呪いだ。人が人にかける、おおきなおおきな呪い。
『女の子なんだから』『男の子なんだから』『大人なんだから』『普通はそんなことしないよ』『ちゃんとしようね』『普通にして』

ところで、私は"普通"が好きだ。

"普通"とずれてる私は、ずっと"普通"を望んでる。まさか"普通"を捨てて世間と戦おうなんて思えない。だってそれってつらいししんどいし、気力がなきゃできないことだから。
ずっと"普通"になりたかった。ずっと"普通"に憧れてた。ずっと"普通"が羨ましかった。

たぶん"普通"の25歳の女の子って、業務形態はさておき働いてお金を稼いで一人暮らしをして、そのお金で趣味の活動をして友だちとかとランチしたり、たまには親孝行なんかもして、人によったら結婚して子供を産んでるかもしれない。

精神疾患を患って、姉も弟も発った実家に寄生して、親のすねをかじり続けて、たまにお小遣いを貰って罪悪感いっぱいで遊びに行って、心療内科への交通費も出してもらって、たまに病んで泣いて両親に心配をかけて、そのくせそんな優しい両親に苛立つときもあって、恋愛の感情もなくって、毎日四六時中死ぬこと以外考えられなくて、希死念慮と自己嫌悪で潰されそうになってるのが、25歳の私。

"普通"っていいなあって憧れるくらい、許されてもいいよね。
『普通普通って言うけど、じゃあ"普通"ってなに?わかるの?』
って言う人がたまにいるけど、世に蔓延ってる〈"普通"の概念〉くらいわかるだろ。
この多様性の時代に"普通"って言葉が毛嫌いされこそすれ無くならないのは、そういうことなんだよ。

なにも〈"普通"に縛られて動けない人〉をとやかく言おうってんじゃない。それはその人の価値観だし否定はしない、したくない。実際前述したみたいに"普通"って言葉は呪いだ。
でも、なら、その"普通"に憧れることがあったっていいじゃないか。

人それぞれなんだろ?多様性なんだろ?だったら"普通"も認めろよ。なあ。

私は"普通"になりたいんだ。

世間一般が想像する"普通"に。


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