【エッセイ】本を好きな理由を語りたい

母親の父親が本を読むことが好きだった。
母親も本を読むことが好きだった。
あたりまえみたいにわたしも本を読むことが好きになった。

他人と話すことも友だちを作ることも苦手だし、だいたいいつも一人でいたから、学校にいるときやることと言ったら必然的に読書くらいしかなかった。
だからいつからか根暗とか本が友だちとかそんな言葉を投げかけられるようになったけど、強がりとかではなく別にどうでもよかった感じはある。

だからわたしの本好きのルーツは、言ってしまえば暇つぶしだったのだ。

小学校高学年から中学生のあいだは姉が買っていたラノベばかり読んでいた。そのころには立派なオタクが出来上がっていたからなあ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』『撲殺天使ドクロちゃん』『ガンダムSEED』『生徒会の一存』ラノベ以外にも読んでいたと思うのだけれども、あまり記憶にない。

そしてここで、わたしが本を好きな理由が変化していく。

高校生になればラノベは卒業して、夏目漱石が書く文章の美しさに惹かれ憧れるようになっていた。
特に衝撃を受けたのは『こころ』で、この人に日本語を書かせたならばそれはもうただの日本語ではない。その辺に転がる言葉は石ころから宝石に姿を変え、それを連ねたものは味気ないジュエリーから彩色豊かな世界に姿を変える。
その時期からわたしは美しい文章を求めて本を読み始めた。
村上龍、太宰治、吉行淳之介とか、近現代の文学に手を出し始めたのである。

小川洋子、江國香織、川上弘美……美しい文章を書くことで有名な作家と言えばこのあたりだろうと思うし、わたしもこの人たちが書く文章が大好きだ。
個人的にはそこにプラスで桜庭一樹、宮本あや子、長野まゆみなどを加えたい。

作家自身が生み出す文章で、作家自身が想像する世界が創られる。
その世界は実写でもアニメでも漫画でも表現できない美しさでまみれている。
わたしはその事実が大好きで、だから自分もそんな世界を創りたいと考えるのは至極当然のことのように思えた。

ただの暇つぶしだった趣味は、いつしかわたしを創る側の人間にしていた。

ネットを使って世に出しているわけだから、当然読んで貰いたいとか評価されたいとかいう気持ちもある。
でもそれ以前に、理想の美しい文章を書いているときの気持ちの高ぶりを感じたいという欲望の方が強い。
ある種の中毒だと思っているが、クリエイターにはわかってもらえると……思う。

美しい文章っていうのは、目で読んでも口に出して読んでも耳で聴いても手で書いても、気持ちがいいんだ。
わたしは、そんな文章を書きたい。

一生、好きな文章を書いて生きていたい。

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