見出し画像

【SS小説】おかしい

こんにちは。
あなたの"赤"とわたしの"赤"、あの人の"赤"。
それってほんとうに"同じ赤"でしょうか。
ふと怖くなるときがあります。1460字です。

✂―――――――――――――――✂


おかしい

 たとえば冷蔵庫と壁の隙間がおかしい。昨日までこんなに開いていなかった気がするが、きちんと測った覚えはおろか毎日しっかりと見ていたということもないので確証はない。
 たとえば通学路から見える鉄塔がおかしい。昨日までこんな鉄塔はあっただろうか。毎日見る景色ではあるが写真を撮ったことなどないので昨日までの正しいそれを思い出せない。
 たとえば近所のおばさんの喋り方がおかしい。果たしてあんなに陽気な口調だったか、以前に話した際はもっと落ち着いていたような気がするが所詮近所のおばさんなのでそこまでの思い出もなく確信には材料が足りない。 
 生活に潜む違和感はこのように日々うまれる。ただ明日になれば冷蔵庫の隙間に、通学路から見える鉄塔に、近所のおばさんの喋り方に、違和感など感じることはないのだ。それが普通になったのか自分が違和感に慣れてしまったのかはさておき、そんな些細な出来事は日常を過ごすうえでなんの支障にもならない。
 それはそうと自分が見ている世界は本当にみんなが見ている世界と同じなのだろうかと、考えたことはないだろうか。または自分以外の人間はすべてアンドロイドかもしれない、などと。世界とは自分が見えているものがすべてなのであって、そしてある一人にとっての世界が歪もうが他人にはあまり関係なく、それを確認してもらう術すらない。
 つまり自分が見ている世界が歪んでいないと、誰が言いきれるだろうか。
 歪みというものはなにも突然に訪れるわけではないだろう。一ミリ程度の亀裂や少しのシワさえあればじゅうぶんで、それはもとからあるものでも誰かにつけられたものでもなんだって構わない。徐々に徐々に、亀裂とシワは世界を浸食し拡大していくのである。
 ある日母が言う。「冷蔵庫と壁の隙間を掃除する」と。隙間は五センチもなく腕はそう簡単に入らない。けれど掃除用のモップが短いので母は出来る限り腕を差し込んだ。そんな母を背後にリビングでテレビを見ていた私は肩を跳ねさせた。母が甲高い叫びを上げてモップを落としたからだ。見ると母は差し込んでいた方の腕を押さえて血相を変えていた。腕には赤い蚯蚓腫れがあった。ムカデでもいたのか、それとも蛇か。私たちは念のため防虫剤を置いて掃除は終わった。
 ある日友人が言う。「あの鉄塔を見に行こう」と。すっかり鉄塔の存在を忘れていた私は反射的に行こうと返す。それから少しの後悔とわくわくがあって約束の日を迎えた。よりにもよって風邪をひいてしまった私が友人に行けないことを伝えると、友人はそれならば一人で行くと言った。私は気をつけてとだけ言って眠りについた。翌日学校へ行くとその友人が失踪したらしいという情報が入ってきた。なんでも鉄塔を見に行くと言って出て行ったきり家へ戻らないのだという。寒気がした。背中に生ぬるい風を感じた。
 ある日近所のおばさんが言う。「近頃あなたの様子がおかしいけれど大丈夫か」と。確かに最近身近でいろんなことが起こっているから疲れているのかもしれない。お気遣いありがとうございます、よく休みますと告げるとおばさんは嬉しそうにスキップをして家へ帰っていった。かと思えばまた扉が開きこちらに駆けてきた。手には数枚の紙が握られていて、おばさんは私にそれを持たせるともう一度スキップで戻っていった。
 ところでこの頃母が冷蔵庫を撤去したいと唱えるように呟いている。父が仕事を辞めてあの鉄塔の写真を毎日毎時間撮影している。
 私はというと、例の数枚の紙をひたすら見つめている。

✂―――――――――――――――✂

ありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?