微睡の記憶
熱を出した。
仕事を休んだ。
学校を休む時とは違って、仕事を休むことは私に罪悪感しか残さない。
学校を休む時、私は、いつもは(家を出る時間以降に放送するため)見るに至らない教育番組の人形劇を見ながら、ちょっとした優越感に浸ったものだった。
みんなは今頃学校に向かっている。だけど私は、テレビを見ている。へへん。というように。
熱を出すと、小さい頃の私は『千と千尋の神隠し』を好んで見ていたそうだ。理由は分からない。
今となっては珍しいビデオテープの中に収められた、不思議な世界の映像。
大きいブラウニーのような直方体の機器に、ドーナツの穴くらいのそれが二つ、開けられている。その内側にテープが巻き付けられていて、ペンの先などで引っ張り出して、よく駄目にしたものだった。懐かしい。
私が『千と千尋の神隠し』のテープを取り出してきてテレビで見始めると、親は私の体調不良を察した。
私は身体、精神状態を言葉で表現するのが苦手な子どもだったから、これが私の体調を判断する一つの指標だったのかもしれない。
今はもう、『千と千尋の神隠し』は見なくなったけれど(ビデオテープを再生する機械が、もう私の家にはないのだ。)、教育番組をつけて心を落ち着かせる方法は、まだ私の中に残っていた。
ある物語を、臨床心理学の先生の言葉を手助けにしながら、心理学的、民俗学的に読み解いていくという内容の番組であった。
私は、私の浅い人生経験の中で見聞きしたことと繋ぎ合わせながら、物語を読み解くことに夢中になった。
熱があるときほど、なぜか頭が冴えてきて、回転も速くなって、誰かに自分の思考回路の全てを語り出したくなってくる。
何かに夢中になることを、「熱を上げる」と表現することがあるけれど、それは夢中になるから熱が上がるのであって、私の場合は熱が上がって何かに夢中になるのだからちょっと違くて……
少し脱線してしまった。
私は小さい頃に熱を出した時の記憶を、ここに綴りたかったのだ。
私は可愛がられて育った方だと思うけれど、何故か自己肯定感が低く、寂しがりやである。
体を壊すと、親の注意が全て私に向けられるので、辛いなりにすごく嬉しかった記憶がある。
心配されたがりの私は、また、あの不思議な世界に足を踏み入れたくなってしまった。
きっと、通過儀礼だったんだろうな。
千尋が大人に近付いたように、私も大人になろうとしていた。
まだまだ大人になりそこねている私だけれど、あの時よりは少しだけ、成長しているに違いない。
皆様も体調には十分お気をつけて、
健康に過ごしてください。
またね🌙