自分らしさという夢から覚めない危険 〜 失われた20年の考察(2) N79
日本の大きな変わり目は1990年代半ばだったと思う。バブル経済が崩壊し具体的な被害が個人にも起きはじめた。まだ大学生だった私は大学4年の時に就職難という被害に直面したが、リストラされたり、家業が倒産したわけではない。それは自分たちの父親の被害だった。実際に自分の周りの親戚や友人の親がリストラにあったり家業が倒産したために大学を中退せざるを得なかったり、偏差値70の妹の大学進学を断念したりという話がしばしば起こった。
それまでは国民は皆中流だった。クラスにいる医者や社長の息子を除いて勉強し生活する上での差はほとんどなかった。僕のお父さんはトヨタ自動車に勤めているんだと自慢をした友人ですら家がちょっと大きくて綺麗だったくらいで大差はなかったのだ。また下流を見極めることすら難しかった。親の学歴や仕事を持って階層を分けることはできたが、年収ベースでは無職や特別な事情がある人を除いてジニ係数が示すように大きな差はなかったのだ。
しかし程なくして「下流社会(*1)」が到来する。格差が明確に分断されたのは団塊Jr世代が社会人になってからだ。だが超氷河期と言われた就職難の時期でさえ仕事を選ばなければそこそこの収入を得ることはできるチャンスはあったと私は思う。そこそこというのは非常に主観的であり、自分がとても不満を抱かない収入と定義したい。
就職氷河期世代の不幸は仕事を選ぶとドン底まで落ちるトラップがあったのだ。自分らしさを追求して自分の好きなことだけを仕事の条件として選んだ人たちは下流に流れ込んだ。本が好きで編プロに就職した早稲田卒の女子は年収200万円だ。その少し前までは経済が成長していたのでどんな仕事(好きなこと)をしていてもそれなりの収入を得ることができた。しかしバブル崩壊後は人手不足が一転して需給バランスが逆転して供給過多になり、大手をはじめとする優良企業に勤めない限り、低賃金で働かざる得ない構造が生まれた。好きで低賃金を取るか、夢を捨ててお金を取るかという選択肢を迫られた。
そして不運にも下流ほど自分らしさを追求したと三浦展さんは指摘する。「自分らしさ志向は「下」ほど多い・・・「自分らしさ」や「自己実現」を求める者は、仕事においても自分らしく働こうとする。しかしそれで高収入を得ることは難しいので、低収入となる。よって生活水準が低下する(*1)」。
そして低階層の人ほど自己能力感が高いと指摘する。「自分らしさという夢から覚めない・・・ただ、問題があるとしたら、学校にも学校以外にも自己能力感を覚えない高校生が、とりあえず学校で勉強しておこうと思わず、学校以外の趣味やサブカルチャーに見果てぬ夢を見続けることであろう。能力がないのに夢だけ見ていて、いつまでも夢から覚めないのは確かに問題だ(1*)」。
ここで思い出すのは京アニ事件ではなかろうか?
今後、第二の京アニ事件は起きる。この問題を解決していないからだ。
1*) 下流社会(三浦展)
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