かえりたい。、。
隣りに寝ている女は僕の本当を知らない。女はよく食べ、よく笑う。僕のはなうたを聴いて涙をながし、瞳のなかをのぞいて憤る。白くて柔らかい肌を吸い上げると小さく嬌声をあげて、僕の身体を強く締め上げる。女は傲慢で罪深い。僕の魂を留めようとする。女の髪は短く、微かに木材の香りがする。振り向いてもこちらを見ていない。僕を見透かしてどこか遠い過去を覗いている。僕は嫌になって鍵盤を叩くけれど、女はもっと大きな音を立てて心を壊していく。心を。女の脇からは蜂蜜のような匂いがする。寝巻きに鼻をつけると甘い匂いが漂ってくる。僕は自身を破滅したい衝動に駆られる、破滅。破滅を試みる。此処から落ちる幻想をみる。頭と身体を放ってこころだけが底に落ち続けている。女は寝息を立てている。早く目覚めて笑ってくれればいいのに。女の唇の隙間に、指をあてた。あたたかい寝息が僕の指を迎えいれた。「安心させて、大丈夫でいたいだけ」いつも大丈夫でいたいだけ。枯れた草木の色が頭に広がると、僕の母、若い母が僕を揺り起こした。優しい音色はじわりと僕の右耳をむしばみ、それから染めるように少しずつ広がっていった。体を押し付けると女が僕を触った。二人の息が重なって、少しずつずれていく。体が、頭が、心が、僕の故郷から、少しずつ、遠ざかっていく。「ごめんなさい、ごめんなさい」呟くと聴覚がもどってきた、それから女はひどく喘いだ。女の呼吸が手のひらを濡らした。浮き出た血筋が道のようだった。女は僕の瞳を撫でて、「、、、よ」と何か言う。ぼくはこの女がこわい。すべてを知っているから。何処にも行かなくても、僕の手に入らないものを持っているから。女は微笑んでいる。それを何とも思わずに持っている。僕はそれが怖い。彼女はそれを知らない。だから僕は安心して眠れる。女の隣で眠れる。愛して。愛している? 冬の空気に汗が乾いたらまた、白けた空のなか、浅い眠りにつく。