メンバーシップ「もやもやさけ~部」はじめました
本日もご訪問いただき、誠にありがとうございます。
まるで、ラーメン屋さんが「冷やし中華はじめました」みたいなノリからのスタートですが(笑)
メンバーシップが「もやもやさけ~部」という名前になった理由や
なぜ私がこのようなコミュニティを持ちたかったのか
それは私のサラリーマン時代の苦労に大きく由来します。
なので、本日はそこらへんを徒然と書いてみたいと思います。
よろしければ、最後までお付き合いくださいませ。
最初の従業員
私は、特殊な事情で大学を卒業後12年経ってから就職活動をして小さな専門事務所に就職しました。
ところが、その事務所の所長が1年と少し後に逮捕されるという出来事が・・・
人生出直しのはずの最初の就職先がそんなことになり、
そこからしばらく逡巡した後、同じ事務所にいた先輩が独立開業したのをきっかけに、その先輩事務所の最初の従業員に2007年秋再就職しました。
今度こそ、人生出直しをかけて。
お互いのある程度の人柄や性格など理解していたので、
すぐに社内での役割分担が決まり、
「社長:営業する人 私:社長のとってきたお客様をさばく人」となりました。
事務所の急成長
こうして社長が社長業に専念できる環境が偶然ながらも整い、
社長は営業のためとある団体に所属し、その行事だなんだで100%出ずっぱり。
ひどい時は1週間昼間全く連絡の取ることができない地下に籠ったことも。
まだ新規顧客ばかりでやることもお客様との人間関係も固まらず、
ほぼほぼ決断という決断は重要な経営判断を要する時期にこの環境は、
精神的にかなりきつかったです。
まあ、そのおかげ(?)というかなんというか、事務所の売り上げは初年度10万円と少しの状態から2年で1千万を超えるまでに急成長しました。
目も当てられない多忙と相談相手の不在
当然、2年目の途中から、私の業務は超繁忙をきわめだし、
ひとりでは到底追い付かなくなったので、2年目の年末を前にして
パート従業員を何名か採用することになったのですが、
次は社内事情が私の首を絞め始めました。
➀”作業”まで落とし込めていない状態で”ルーティンワーク”を切り分ける苦労
②仕事を教え説明しているうちにも次々やってくる納期とがんがんかかる電話
③社長不在でまだ仕事が未熟だった私の相談相手が全くいなかった
④パートさんらのシフト調整や給与計算、新しいPCの配線、設置、セットアップ、備品の準備もすべて自分の仕事となった
⑤社長の役所回りなどのルーティンも滞り始め、その仕事も結局私の仕事となった
こうして書いてみると、よくやってたよなぁ私。
その間も、新規顧客は増え続けていたので、
正直新人さんに仕事を教えている暇どころか、まともにコミュニケーションをとる暇すらない状態でした。
だから、入れても入れても、辞めてしまう。
せっかく段取りして手放した仕事が、マッハで戻ってきてしまう。
その繰り返し。
結局、私のこころの中に少しずつ少しずつ、もやもやもやもやが蓄積していきました。
ややこし系の顧客
また、社長の得意分野がややこし系とオラオラ系が多かったのも事務所の特色でした。
それらを全部こなすためには、理不尽に怒鳴られることもあったし、
関与業者さんがその間にむちゃを言ってきてブチ切れることもあったし、
お役所がきちんと仕事をしてくれなくてクレームになったこともあったし、
まー枚挙にいとまがないくらい(笑)
常に戦っていないと、やられてしまう環境でした。
それらのうっぷんを、晴らす場所が私にはなかったのです。
1年だけ居ついてくれた優秀な正社員
そんな中、2010年にとても優秀な方を採用するラッキーに恵まれ、ようやく私の精神状態はまともに戻れました。
相談する相手が、ぼやく相手が、そうだねそうだねと言い合える相手ができたことで平静をいっとき取り戻すことができたのです。
ただ、残念なことに、その後私の母が1年の最も繁忙期に亡くなるという出来事と、その時の事務所の対応をきっかけに、その方は退職されてしまい・・・
手放した仕事と、その方がならした仕事すべてが再びすべて私に戻ってくることになりました。
あの時の絶望感。今でもなんとも言えません。
この話をすると、「よく、その時その方と一緒に退職しなかったね」と100%言われます。
それくらい、事務所内の役割分担の比率がおかしくなっている状態でした。
何度も何度も話し合いましたが、折り合いはつかず、
苦し紛れに人材を補充しても失敗におわり、
いつまでたっても手ばなれない仕事の悪夢は続きます。
2013年夏、日赤の救命救急センターにかつぎこまれる
その後もパートさん複数で仕事をやりくりする状態が1年以上続き、
ついに私はぶっ倒れ、日赤の救命救急センターに担ぎ込まれ、
敗血症性ショックをおこし死にかけました。(生き残ったのは25%の確率の奇跡だったそうです)
そして、その状態になってなお、病室に仕事を持ち込まれ、
指示を出すという事態になったのです・・・
いろいろな要因はあるけれど
もちろん、そのような事態になったのには一つだけの要因というわけではなく、複雑にからみあったたくさんの要因があると思います。
実際、病名も複数ついていましたし。
ですが、どこにも吐き出し口のない私の中にたまったもやもやが
私の身体の抵抗力を究極レベルまで奪い、
大腸菌という誰もが体にもっている常在菌に感染して死にかけるという事実は実際に起こりました・・・
やるせない思いを抱えながら、もやもやしているそこのお方。
メンバーシップ限定の叫び場で「王様の耳はロバの耳~!」
と穴に叫んですっきりして、また明日から一緒にがんばりませんか?
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