正しいか、間違っているか
最近、麻雀(Мリーグ)に興味を持っています。
お正月にAbemaTV(現・ABEMA)で配信されていた、プロ野球選手参加の交流戦を観たことがきっかけです。
麻雀は十代の頃にパソコンやゲームボーイの麻雀ゲームで遊んでみたくて役やルールをとりあえず覚えた程度で、とても実戦で使えるような技量はありません。私はカモネギどころじゃないでしょう。
でも、観る将な私が今、再び麻雀にも興味を持ったことには何らかの意味があるのかなぁ?と思っています。
この動画の20分辺りからの最後のシメ部分で「(考え方・思い描いている先が)違うから良い」「正解も間違いも溢れている」「『あの人何切ったありえない』とかはあまり言わないでいただいて…」「色んな話聞きたい」などという話をしています。数えきれないほどの対局を積み重ねてきているプロの言葉なので、これらの言葉の奥には深い想いがあるのだと思います。
そして、これは麻雀に限らず私たちの日常生活上でも言えることだなぁと思います。
色々な人がいて色々な考え方があるから個性で面白い訳ですし、「正しさ」と「正しさ」の押し付け合いは不毛なんですよね。また、自分から他者を見て「間違っている」「ありえない」「馬鹿」などと自分の価値観で評価してしまうことは、せっかく人間に生まれてきたのに勿体ないことをしているとも言えるのかもしれません。そして、この感覚もあくまで私の価値観なので他者に押し付けるものではないとも言えます(※)。そう考えると、この世の中は「みんなが正解」と言えるのかな?と思います。(※この記事も含め、私の文章を読んで何か気付きの助けになれば良いなと思って活動しています)
それと、将棋中継の大盤解説時に「人は手がたくさん見えるから迷う」と棋士の方が仰っていました。(うろ覚えですが、たぶん木村一基九段)
人間は手がたくさん見えるから迷う。だからこそ自分の選んだ手が正しかったと強く信じたいし、苦労せず最善手を得ることを求めるんだと私自身も感じます。
ところで、将棋は1対1の勝負で、しかも実力が如実に反映されてしまうゲームです。そのうえ、例え自分が有利に勝負を進めていたとしても、終盤のたった一手の悪手で敗勢に転じてしまうこともあります。最悪の場合、頓死といって「負け」に直結してしまうこともあります。
一方、麻雀はどんなに頑張っても運(確率)の要素に左右されてしまうゲームで、確率ゆえの偏りが出来てしまうことがあります。1位で最終局を迎えたとしても運が良かった人に逆転されてしまうなんていうこともあるんですよね。
自分はベストを尽くした。でも勝てなかった…。
真剣に全力勝負をしていればしているほど、言いようのない悔しさやもどかしさがあると思います。
プロ棋士もプロ雀士も、どちらもそれぞれ気持ちの持っていき方・メンタル管理が大変な職業だなと感じています。(二刀流の鈴木大介九段は本当に凄い!)
今はプロ雀士のことを知ったり応援を通したりして色々と感じる時なのかな?そんな風に思いつつ、МリーグではEX風林火山を応炎している今日この頃です。
麻雀のことはまだまだちゃんと分からない私にとっても解説が分かりやすい勝又プロ、料理男子で紳士な印象の松ヶ瀬プロ、お2人の掛け合いが面白い二階堂姉妹(瑠美プロの表情が豊かなところなどは私と似ていると感じるし、お姉さんからゲラと言われる亜樹プロの笑い声に私ももらい笑いしてます。笑)
応炎しながら皆さんの麻雀の内容も理解できるようになって、もっと楽しめるようになると良いなぁと思ってます。
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