eスポーツ格差を埋めるための努力が、ゲーム依存という「勘違い」を産んでいるのではないだろうか。
私は過去、とても小さなeスポーツチームを運営していた。
主にフォートナイトというタイトルで精力的に活動し、チームとして大きな実績を残すことは叶わなかったが、自分たちで界隈を盛り上げ、よりシーンのレベルが向上するようにと賞金を設定し、大会を運営したこともあった。
フォートナイトには競技シーンにおいて定期的に開催されている「FNCS(Fortnite Champion Series)」を始めとした大会システムがきちんと整備されており、日本人にも大会で勝つことを目的とし日々努力するプレイヤーが多く存在している。
チーム運営や大会運営をしている中で、私はPCでプレイするユーザーよりも、PS4やスイッチなどのコンシューマー機でプレイする選手の方が圧倒的に多いということに気が付いた。
なぜそのような選手が多数存在するのか。そして、そこから起こる問題についてこの記事では考察していきたい。
フォートナイトが日本のeスポーツに与えた影響。
2018年3月に「フォートナイト バトルロイヤル」が日本でリリースされ、PS4やNintendo Switchといったコンシューマー機でもプラットフォームを展開したことをきっかけにその人気に火がついた。
なんといっても、当時不可能だと考えられていた「クロスプレイ*」を可能にしたことで、大勢のユーザーを獲得することに成功した。
*コンピューターゲームにおいて異なる機種間で通信を行うこと。
Nintendo SwitchとPS4での通信が可能になったことで話題となった。
2019年2月には、人気アーティスト「マシュメロ」とのゲーム内でのコラボを実現し、同時接続者数が1000万人を超えたという、ゲームでは異例の結果を残したのも記憶に新しい。
他にも様々な実績を残してきたこのゲームだが、何よりも私が特にこのゲームで優れているなと感じる点は、「大会」にある。
フォートナイトの公式競技大会であるFNCSはオンラインでの開催に加え、他のゲームタイトルとは異なり指定された時間内にゲームをプレイすることでエントリー・参加が可能となる。
そして、現在ではプラットフォームを問わず「統合サーバー」と呼ばれるサーバー内でNintendo SwitchユーザーもPS4ユーザーもPCユーザーも同じ環境下で順位を競い合う。
多くのゲームで大会申請や抽選システムがある中で、ただゲームをするだけで良いこの大会システムは非常に画期的である。
その為、比較的若年層でも競技イベントへの参加が可能となっている。
冒頭で説明した8歳のプロゲーマーだが、フォートナイトの規約上13歳以下の競技イベント参加は認められていない。
それでもプロチームが契約を結んだ経緯は、このゲームにおいて若い世代が反射神経や状況判断の面で年齢が若ければ若いほど有利であるということが証明されているからだ。
その証拠として、世界大会で3億円を手にしたのは他のだれでもない当時16歳のBughaだった。
現在行われているシーズン8においてはアジアで賞金総額約1500万円が設定されており、今もなお10代の若いゲーマーたちが高い順位を目標とし、日々練習に打ち込んでいる。
しかしながら、このFNCSでは選手だけが感じているある1つの課題がある。
その課題こそが、「プラットフォーム」である。
圧倒的差を強いられる選手達の苦悩。
FNCSの決勝にあたるグランドファイナルにおいて、大会上位にランクインするほとんどがPCゲーマーである。
前述で述べたように、私がチーム運営や大会運営をする上ではPS4,SwitchユーザーがPCユーザーと比べ圧倒的に多かった。
最も多い時で15人以上選手を抱えていたが、うち10人以上はPS4ユーザーであり、大会参加者の半数以上はコンシューマー機からの参加だった。
競技と関係ないプレイやFNCSの予選において、プラットフォーム間での差はほぼ存在しないように思えたが、より競技として突き詰めたり、公式大会で上位を目指そうと思うとゲーム以外の環境が強く関係してくるだろう。
だからこそトップを目指す選手の中にはPCでの競技活動を望む者が多いのだが、現実問題として中学生や高校生が競技活動に集中できる高性能なPCを購入する資金を持ち合わせていない。
プロゲーマーの中にはチームスポンサーからの提供でPCを提供してもらう場合もあるが、アマチュアゲーマーのほとんどが自らの手段で資金を集め、購入する必要があるだろう。
しかしアルバイトも出来ない学生や、親から借りたお金でPCを買うことも出来ない学生は多くいる。
もしも両親がゲームに寛容であり、経済的にもゆとりのある家庭なのであればPCを提供してもらうことは可能だろう。
対照的に、両親がゲームに理解を示しておらず、ゲームに数十万円も投資する価値を感じられないような家庭で育った若者は、eスポーツで活動する上で圧倒的なハンデを抱えて生きていくことになるのではないだろうか。
ではそんな学生たちが、コンシューマー機でPCとの圧倒的な性能差がある中でどのように戦っているか、想像はつくだろうか。
そう。環境に甘えることなく、ただひたすらに「練習時間を増やす」しかないのである。
これこそが私がこの記事で提起したい、「ゲームでの格差を埋めるための努力が、ゲーム依存という勘違いをされているのではないだろうか」という問題である。
辿り着いた先にある、「ゲーム依存」という名の障壁。
プロゲーマーともなれば、ゲームのプレイ時間は業務時間となり、正式な仕事の一環として認められるようになるだろう。
しかし、プロゲーマーになるための投資として重ねたゲームのプレイ時間に対する対処は未だに答えが出ていない。
それは、「ゲーム依存症」というWHOに正式に認められた病気が存在するからだ。
2020年4月には、国内初となる「ネット・ゲーム依存症対策条例」が香川県で試行され、大きな話題となった。
多くの賛否の意見が飛び交ったこの条例は、細部まで見てみればゲームのプレイ時間も正確に何時間までと定めているわけではないし、県側の主張としてゲームやネットの使い方について家庭で話し合う時間を設けることを目標としている。
だからこそこの条例に対して間違った認識をしている人には改めて注意を促したいのだが、1つだけ私がどうしても述べたいことがある。
それは、ネット・ゲーム依存症とは「ネット・ゲームにのめり込むことにより、日常生活又は社会生活に支障が生じている状態をいう。」と条例内で定義づけている点だ。
https://www.pref.kagawa.lg.jp/documents/10293/0324gj24.pdf
この条例は主に青少年の健康を守るために施行されるものであるがために、子どもの健康を守る権利が保護者や学校などの大人にあると考えられる。
すると、子どもがゲーム依存だと判断するのは子どもではなく大人の裁量であり、親や先生、医者がネット・ゲームによって生活に支障をきたしていると判断すれば、子どもは発言の権利なくゲームに依存している病人と認定されてしまうのだ。
こんな環境を作ってしまえば、ゲームで少しでも良い成績を残すために自分の時間を削って、試行錯誤を重ねているだけで「ゲーム依存症」と診断されてしまう。
こんな世の中は、おかしい。
ネット・ゲーム依存症対策条例は、子どもの将来を願った条例ではないのだろうか。
法や条例について詳しいわけではないが、私には、ゲームを頑張りたい若者への足枷となっているようにしか見えないのである。
子どもたちがゲームを頑張れる社会を作るために。
フォートナイトはこの問題を解決するために、定期的にプラットフォーム別の大会を開催している。
しかしながら、この大会に日本人が参加できる資格はない。
その理由としては、ゲーム内で日本同時間に別の大会イベントが開催されていたからだと推測出来るが、プラットフォーム別の大会を望んでいる日本のユーザーからは不満の声もインターネット上で垣間見えた。
常日頃からプラットフォームによるフラストレーションを抱えた中で、このような機会を奪ってしまうのは仕方のない事とは言え、フォートナイトというタイトルに向き合っているゲームユーザーにとっては辛い出来事であっただろう。
統合サーバーで管理すれば大量のユーザーを確保することが出来るし、仕事量も減って効率的な大会運営が可能になる。
しかし、ユーザーはストレスを感じて戦い続けることは明らかだし、早く対策を取らなければ今は小さな損害でもきっといつか大きな損失に繋がると私は考える。
そしてゲーム依存を危険視する大人たちには、まずはゲームの時間を統制することから始めるのではなく、ぜひ「ゲームを頑張れる環境」を作ることからはじめてほしい。
これは決してゲームを頑張りたい子どもを持つお父さんお母さんに伝えたいわけではなく、もっと社会全体として認知してほしい問題だ。
2020年にアメリカで設立された「NASEF(北米教育eスポーツ連盟)」は、学校以外の場でも役に立つスキルを習得できるプラットフォームとしての「豊かなeスポーツ」を提唱し活動を行っている。
実際にeスポーツでの取り組みが科学、数学、英語といった分野で進歩があったことや、社会的感情の学習と人間関係に関する議論も増えたと述べている。
これは海外だけの事例ではなく、日本にもeスポーツを活用した青少年との取り組みを行う団体があり、NPO法人である「高卒支援会」はeスポーツを活用し、不登校や引きこもりの子どもたちをサポートしている。
このような団体が増えることに加え、私は中学校や高校でのeスポーツ部の設立を強く希望したい。
それこそフォートナイトにはゲーム内に大会システムが整備されているし、高校生を対象とした全国大会も今では多く開催されている。
部活動として取り組む意味は、十分と言って良いほどあるのではないだろうか。
若者が競技で勝つために費やしたプレイ時間を病気の証拠として取り押さえる前に、まずは努力の証として評価出来る多様性を持ち合わせてほしい。
浪費された数字ばかりを見て、一度でもゲームに取り組む選手たちの姿勢を近くから眺めたことがあるのだろうか。
子どもたちの健全な未来を願うのなら、ゲームの時間を規制するよりも、講釈を垂れる前に大人たち自身が子どもたちと手を取り合い、お互いにどうすれば勝てるようになるかを考える方がよっぽど有意義なものであると思う。
ネット・ゲーム依存症対策条例に関する問題で、実際にゲーム依存者がどれほどいるかを研究するために多額の税金が投入されたとニュースで報じられていたのを見たことがある。
そのお金を、少しでも子どもたちがプラットフォームという経済格差を感じずに競技活動に専念出来るような場所を作るために投資出来なかったのだろうか。
ゲーム依存が危険なものではないと訴える気持ちはないが、私は今の若者たちがどのような気持ちでゲームに打ち込んでいるかを知ってほしい。
これは小さなeスポーツチームを運営してきた中で、私が実際に感じ学んだ事実である。
子どもたちがゲームとどのように向き合っていくべきかを、まずは今起きている問題を正確に伝えることから始めたい。