ドはまりしてしまったパルワールドの賛否に関する私なりのゲーマーとしての強い批判。
こんにちは、noteを更新する度にもうnoteは書かない、もうnoteは書かないと思っているのですが書きたいことは無限に出てきますな
今日書こうと思うのは大流行のパルワールドです。
恐らく今日からニュースでも大流行!って流れそうなぐらいの人気ですよね。発売から三日で400万本の売り上げ。とてつもない人気です。
自分もゲーマーの端くれだとは思っているのですが、近年は本当に面白いと自分が思えるゲームと出会えずにいました。
じゃあいつからかと言われると、個人的にはVALORANTがリリースされた2020年からあまりしっくりくるゲームを遊べずにいました。
それも当然で、多くのゲームがコロナをきっかけに開発環境を整えることが出来ず、いくつもリリースが遅れたゲームがあったとどこかの記事で見た記憶がありました。
ゲームは本当に素晴らしいもので、長い歳月をかけて作られるものですから、コロナは本当にゲーム業界に影響を与えたと思います。
そこから4年経って、爆発したゲームが今回のパルワールド。
名前はもう知っている方も多いと思いますが、ぱっと見て得られる印象は何といってもポケモン。
キャラクターがほんとに可愛らしくて、ポケモンに似ているんですよね。
そこから「パクリゲー」だの、それに付随する批判の意見も多く見受けられています。
僕はそういう抵抗感を一切感じずにこのゲームを始めて、リリースから3日で12時間半ほど遊んだので、そうした批判の意見やゲームに対する意見を含めて今回のnoteを書いてみようと思います。
ポケモンに酷似している?社会現象を生み出すパルワールド。
まずはこの点に関して。
パルワールドはモンスターがいっぱい登場するゲームなのですが、そのモンスター、キャラクターがポケモンにとても似ています。
でも実際にゲームをプレイしたことがあるような人であれば、「このゲームは全くポケモンじゃない」ということは理解してもらえると思います。
ポケモンはポケットモンスターと呼ばれるモンスターを捕まえ、そのポケモンとポケモン同士を戦わせることで進んでいくゲームです。
RPGを代表するゲームですが、パルワールドは全くと言って良いほどポケモンとはゲーム性が異なります。(いや、そこじゃないでしょという方もいらっしゃると思いますが、ちょっと待ってください。)
パルと呼ばれるモンスターを捕まえ、パル同士で戦わせることもこのゲームでは可能です。
ただ、ポケモンとは異なり自分の拠点でパル達を働かせることが出来るという点が大きな違いです。
ポケモンはほのおやくさ、みずといったタイプごとに戦うポケモンとの相性がありますが、パルはそこに自分の得意な職種があります。
例えばモグラのようなパルであれば石を掘って自分の拠点に持って帰ってきてくれますし、背中に果実が生えたパルは畑に背中の果実から生えた種を植えて私たちの食料にすることが出来ます。
そして、このゲームの最も大きな魅力は、そのパル達が仕事を終えると一人残らずこちらに対して満面の笑み。「仕事終わったよ!」と言わんばかりの喜びの表情をこちらに向けてくれるんです。
だからパル達と自分の間で絆が生まれているような感覚になり、「私も頑張ってくれているパル達の為に頑張ろう!」という気持ちにさせてくれるんです。
この点がこのゲームをプレイする人々を魅了する一番の要因だと感じています。
少し話が逸れちゃったので、本題に戻します。
ゲーム性の違いは分かってもらえたと思うのですが、それでもキャラクターはポケモンのパクリと言わんばかりに酷似していますよね。
この部分は、日本人であれば全員が共感する部分だと思います。
「キャラクターを模倣しているのだから、キャラクターメイクには時間がかかってないからせこくない?」とか、「パクリゲーが評価されるのは意味が分からない」とか、凄く気持ちは分かるんですけど、僕ら20代前半の人間にとっては、少なからずそうした抵抗を感じる人は少ないと思います。
それは、「フォートナイト」と「妖怪ウォッチ」の流行にあります。
BOOTLEG、フォートナイトと妖怪ウォッチ。
タイトルにイキって英語を使っちゃいましたけど、一旦忘れてもらえると嬉しいです。
僕は今22歳なのですが、この年に至るまでにフォートナイトと妖怪ウォッチの流行を経験してきました。
分かりやすいのは妖怪ウォッチなのでまずこちらを例に話しますが、妖怪ウォッチはレベルファイブが販売したゲームで、一時期社会現象になるほどの人気を博しました。
当時マクドナルドの激熱イベントだった「ポケモンカレンダー」の枠を妖怪ウォッチが占領し、「ついにポケモンの時代が終わるのか?」なんて声もささやかれるほどでした。
しかし今となってはもう普通に生きていて全くと言って良いほど聞かない言葉になるほど衰退してしまい、妖怪ウォッチ全盛期を経験した私たちにとっても過去のものとなってしまいました。
次にフォートナイトです。
フォートナイトもZIPで「賞金三億円のeスポーツ大会!」と報じられるほど社会現象になったゲームで、世間一般に"eスポーツ"という言葉を広めたのもこのゲームだと私は考えています。(異論は認めまくりです。)
なぜフォートナイトが流行ったかという理由に関してなのですが、それには「PUBG」というゲームが強く関係しています。
PUBGは当時対戦オンラインゲームでは考えられなかった「100人対戦」を実現したシューティングゲームで、FPS・TPSでは考えられなかった"最後まで生き残ることが出来れば勝つことが出来る"というプレイヤースキルが最も大事なジャンルにおいて革命を起こしたゲームであり、このゲームをきっかけに日本のPCゲーム市場、eスポーツ市場は大きく成長することとなりました。
しかしこのゲームは今では考えられない"有料ゲーム"として登場し、学生には手の出しづらいゲーミングPCでしか快適な環境で遊ぶことが出来ませんでした。(今回話したいこととは逸れるので紹介していませんが、だからこそ荒野行動は学生の間で大きなヒットを生み出すことになります。)
そこに登場したのがフォートナイトで、基本プレイ無料、Nintendo Switch、PS4、Xbox、PC、スマートフォン(当時)でかつ、プラットフォーム関係なく遊ぶことが出来る「クロスプラットフォーム」を実現することによって、当時は物珍しかったバトルロワイヤルをどの環境で暮らしている人でも快適にプレイすることが可能となりました。
その結果フォートナイトは大流行し、ゲームが上手いプレイヤーは撃ち合いに積極的に参加したり、ゲームがあまり得意でないプレイヤーもアイテムを回収したり、生き残りやすい場所を探すという自分の得意な役割を見出すことで、"自分の活躍できる場"を実感しながらマルチプレイを促すことでとてつもないプレイヤー人口を生み出すことに成功しました。
妖怪ウォッチ、フォートナイトの共通点は、どちらも「パクリゲー」というわけです。
ではBOOTLEGとは何なのか?
そして、この2つのゲームが衰退した理由は何なのかという点について持論を述べたいと思います。
「BOOTLEG」という名前に込められた、文化への尊重と理由。
BOOTLEGとは、直訳で「海賊版」という意味なのですが、自分が話したかったのは米津玄師さんが3枚目のアルバムについてです。
BOOTLEGというタイトルなのですが、このタイトルはある種皮肉としての表現として名づけられたと自身のインタビューで語っています。
興味のある方はぜひインタビュー記事を覗いてみてください。僕自身が衝撃を受けたインタビュー記事です。
僕の解釈でしかないのですが、要するに文化は進化であり、進化するということは進化元があって、それをパクリとひとくくりにしたり、過剰に反応するのはおかしいという意味です。
あくまでも僕の推測ですが、今でも米津玄師さんはこの思いを強くもっていらっしゃって、チェンソーマンの主題歌として大ヒットを記録した「KICK BACK」の印象的なフレーズとなっているのが「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」というフレーズで、このフレーズはモーニング娘。の楽曲である『そうだ! We're ALIVE』から引用されたもの、という話をご存じの方も多いと思います。
この記事を書くにあたって改めて調べてみたのですが、このフレーズを引用した理由として解説されている記事がありました。
これ、確かに凄いんですけど、音楽にあまり興味のない方は「ふーん、そうなんだ」程度に感じると思うのですが、僕自身歌詞が凄いとかは全く興味ないんです。だって音楽を聴いているわけですから、別に言葉自体に興味はないんです。
全然関係ない話ですけど、僕歌詞が凄い!って評価されてる曲とか作品全然好きじゃないんです。一番聞きたいのは音楽で、歌詞は二の次だと思ってます。
KICK BACKはイントロがベースから始まります。
めちゃくちゃ音楽に詳しいわけではありませんが、これはかなり珍しいケースだと思います。
しかもそれだけじゃなくて、曲全体を通して主旋律をベースが演奏していて、「Da-DaDa-DaDa-DaDaDa」というキャッチーで力強いベースのリズムが曲を通して流れ続けます。
KICK BACKの曲の印象を聞かれれば、100人中99人がこのリズムを想像するんじゃないかと思うのですが、このリズムに適する歌詞として先ほどの「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」をぶつけてくるんですね。
素早くて、力強くて、キャッチーなのに新しい。
先ほどチェンソーマンの時代背景からこの歌詞が引用されたという話をしましたが、この歌詞自体チェンソーマンの主人公である「デンジ」を表現するような歌詞なんです。(めちゃくちゃ語りたいけど、そういえばパルワールドの記事だったからやめるね。)
チェンソーマンのファンにとっても「分かってるなぁ」となる歌詞。米津玄師さんのファンにとっては「最近感じてなかった米津玄師の音楽性!」と感じるような音楽作り。そしてキーフレーズとなった努力 未来 A BEAUTIFUL STARの生みの親つんく♂氏にとっても、自分の作った曲をより多くの人に聞いてもらえるきっかけとなるような曲になったと思います。
この歌詞の引用は、ただ"分かってる"という自慢のために引用されたものではなく、単に「チェンソーマンという作品の主題歌として相応しい歌詞」であるからこそ引用されたものであり、曲として素晴らしいからこそYouTubeで1.4億回も再生されるヒット曲と成長したと私は感じています。
つまり何が言いたいかと言うと、作品として素晴らしいものにするためには引用する必要があって、その引用は全ての人が納得できる形であるからこそ賞賛されると考えています。
やっと本題に戻ります。
パルワールドはキャラクターそのものはポケモンに酷似しています。
しかし、パルワールドはポケモンに酷似していなければならない理由があったと私は考えています。
面白いを社会に解き放つ魔力。「ヒットさせる」という執念を感じさせる開発者の意図。
パルワールドとはいったい何なのか?
パルワールドをプレイしていて、ゲームに詳しい人に聞けば、ほとんどの人が「Ark」というポケモンとは程遠いゲームに辿り着くでしょう。
Arkとは恐竜をはじめとする古生物の生息する世界を舞台とした、オープンワールド恐竜サバイバルアクションゲームであり、ゲーム内容はパルワールドととても似ています。
オープンワールドに解き放たれた主人公は恐竜の住む世界でサバイバル生活を行うのですが、このゲームの大きな特徴として挙げられるのは何といっても「恐竜を仲間に出来る」という点。
自らで木を伐り石を掘り素材を集めることで武器を作り、その武器で恐竜と戦い、弱らせたところに恐竜の餌を与えることで恐竜を自分たちの舎弟にすることが出来ます。
各恐竜が持つスキルはそれぞれで、空を飛んだり深海に潜ったり、人間の生活の為に食料を集めてくれる恐竜や拠点を狙ってくる敵から守ってくれるものまで多くの種類の恐竜が存在しています。
"男"にとっては、恐竜を自分の仲間に出来るというロマンを叶えてくれるロマンの詰まったゲームであり、プレイする人の趣向によって文明の発達が大きく異なる人の「色」が大きく表れるとても面白いゲームです。
しかし恐竜は人間よりも遥かに大きな力を持ち、初心者でも作れるような弓矢では、そこらへんにいる穏やかな草食恐竜でさえも歯が立ちません。
恐竜にモンスターボールを投げても、捕まるようなイメージって全く湧きませんよね。
だからこそこのゲームは、初心者にはあまり優しくないゲームのようにも思えます。(友人に経験者がいないと一人でプレイするのは相当な根気がないと難しいと思います。)
パルワールドは、Arkの「初心者が手を出しづらい」という点に焦点を向けました。
・Arkのプレイ人口を増やすには?
・初心者でも遊びやすいArkとは?
・男性だけでなく女性もプレイしたいと思えるArkとは?
そこで辿り着いた結果が、恐竜→ポケモンにすること。
可愛らしいモンスターなら、兵器を作って銃で攻撃しなくても、そこらへんに落ちてある木の枝や弓矢で攻撃してもすぐに倒れてしまう。(簡単に作れるような武器で倒れてもイメージが崩壊しない)
だから、「すぐに仲間に出来そう」というArkで最初の課題となる障壁をいとも容易く乗り越えることが出来るんです。
そうして捕まえた弱そうな仲間にも、木の実を集めたり、人間と一緒に落ちている木の枝を集めるなど優れていなくとも有難いスキルを付与させることが出来るようになります。
可愛らしいモンスターで構成されているから、どこか簡単そうという始める動機を作ってくれる。
見た目の通りパルは弱いから、初心者でも簡単に仲間にすることが出来る。
見た目がかわいいからこそ、女性でも始めたいと思える。
私には、パルワールドに登場するキャラクターがポケモンと酷似している・酷似する理由が明確にあるように感じました。
そして、これまで限られた人にしか伝わっていなかった「Ark」というゲームの持つ特有の面白さが社会に広まったと感じざるを得ませんでした。
ポケモンに似ている→人気になる
ではなく
人気になるためには?→ポケモンに似たキャラクターを作る
が正しいと、私がプレイした上では感じたのです。
社会現象を引き起こすゲームが辿る恐怖。変化と進化の違いとは。
パルワールドは登場するモンスターであるパルがかわいいからこそ、ゲームデザインがとても簡単に設計されています。
初心者にも親切な次にやることを表示してくれる「ミッション」と「チュートリアル」、コアなゲーマーもやり込みたいと感じさせるオープンワールドの作り込みと世界観の美しさ。
私がこの記事を通して伝えたいただ一つの事実。
パルワールドは、強烈に「面白い」ということ。
この面白さは、賛否を引き起こす理由を否定するために必要な「事実」です。
私がなぜパルワールドを賞賛しているのか。それは、面白いからです。
この「面白い」という理由で議論の全てを解決できると考えています。
冒頭に軽く話したのですが、「キャラクターがポケモンに似ている」という点。
「パルワールドを批判している人のプロフィールを見ていると、多くの人が絵を描いている人だった。」
キャラクターを生み出す難しさというのは、何の知識も経験もない自分ですが凄く分かるような気がしています。
自分は兼ねてからライターみたいなことをやっていて、1からオリジナルを生み出したことがないからこそこの部分に関して寛容になってしまっている部分があるのかもしれません。
オリジナルの何かを作りたいと思っていた時期もありました。
でも、参照記事や引用がないと文章ではなんの根拠も証拠もないと言われ挫折しました。
大学でも卒論を書きましたが、引用のない論文なんてもはや論文ではありません。それってオリジナルの概念とはちょっと離れるような気もしますよね。
イラストレーターの方のように、オリジナルを生み出す難しさを感じているからこそパルワールドを受け入れにくいという方も多いと思うのですが、ゲーマーはどちらかというとオリジナルであればあるほど受け入れ難い。何か経験したことのある要素が多ければ多いほど有難いと感じるケースも少なくないと思っています。
例えば、2020年を皮切りに面白いと思えるゲームとなかなか出会えなかったと冒頭で話した時に紹介したVALORANT。
これは革命的に面白いのですが、コアなFPSユーザーにとってはオリジナルと思える要素も多いのですが、どこかで出会ったことのある要素が多く詰め込まれています。
VALORANTは5vs5の対戦ゲームで、操作するキャラクターごとに異なるスキルを持っており、そのスキルの使うタイミングや練度によって勝敗が大きく変わるゲームです。
FPSは敵を狙うという人間自身のスキルを強く問われるゲームですから、日々の練習や経験がゲームを優位に進める大きな要因となります。
だからこそ、VALORANTはスキルの設計が「どこかで使ったことがある」と思わせてくれるような作りになっています。
良く例に挙げられるのはOverwatchであり、このゲームもエイムとスキルが肝心なゲームなのですが、プレイしているとVALORANTによく似たスキルが多く存在しています。
だからといってVALORANTが批判を受けることも多くありませんでした。
それはこのゲームが練度に重きを置いているからです。
過去にOverwatchなどでスキルを使う経験があれば、ゲームをプレイした時間が無駄にはならず大きなアドバンテージとしてこのゲームに活きることになりますし、流行するためのゲームの障壁となる「取っ掛かりにくさ」が解消されることになります。
だからこそ、VALORANTではOverwatchで経験したスキルを活用できると、喜びを感じたユーザーも少なくないと思います。
「ゲームをプレイした時間は無駄にならない」
こう思える経験は、ゲーマーにとって大きな心の支えになります。
かつて小学生の頃に少しだけだけどポケモンをプレイしたことがある、といったユーザーや、ポケモンに昔夢中だったけどもうすっかりやらなくなってしまった。
というユーザーが、パルワールドで過去の夢中を蘇らせながらこのゲームを楽しんでいるように感じています。私もその一人です。
妖怪ウォッチやフォートナイトもその一つでした。
ポケモンで欲しいポケモンが仲間にならない苦労を経験したからこそ、妖怪に好物を与えることで仲間になりやすくなるという要素に感動したし、PUBGでしか活かせなかったバトルロワイヤルのノウハウが、今後eスポーツが成長することできっといつかこのプレイヤースキルを活用できるんだと希望を見出したユーザーも少なくないと思います。
ではなぜこの二つのゲームが(少なくとも日本で)衰退していったのか。
それは、面白くなくなったからです。
彼らが辿ったのはゲームの「進化」ではなく、"変化"だったのです。
ポケットモンスターはポケモンを捕まえ、ポケモンが覚えることが出来るたった4つの技を繰り出しながらストーリーを進めていきます。
これは今も昔もずっと変わらないでしょう。
しかし、妖怪ウォッチは違いました。
この基本概念を大きく変更したのです。
妖怪ウォッチ1・2で採用された基本概念は、6体の妖怪をパーティに設定し、妖怪ウォッチという名前に相応しい「腕時計」をモチーフとした下画面のダイヤルを回すことで、場に出す妖怪、控えさせて回復させる妖怪を変更するといったとてもこだわられたバトル設計を施していました。
しかしそれが妖怪ウォッチ3になり、ウォッチとは関係のない3×3=9マスのフィールドに3体の妖怪を繰り出すことで、「妖怪の前に妖怪を出すことでダメージを受ける妖怪を変える」や、マスの中にアイテムが沸き、メダルを移動させることで回復できたり必殺技のゲージを貯めたりできるというゲームとして更なる幅を広げるようなバトル設計へと変更されました。
恐らく、妖怪ウォッチが今後10年、20年と日本を代表するゲームと進化する過程で、3DSではないハードへ移動する時に課題となる下画面で操作する「ウォッチ型」からの逸脱を目的として施された変更だと思うのですが、この仕様が変わることで戦術やバトルに大きな違いが見受けられました。
そうすると、1・2で妖怪ウォッチのゲームファンとなったユーザーが何百時間、何千時間と費やしてきたゲームの"慣れ"が一新されてしまい、「一から学びなおさなければならない」というハードルを植え付ける形となってしまったのです。
"自分たちの都合"をユーザーに押し付けてしまった結果、離れてしまったユーザーが増えてしまったという印象を今でも強く感じています。
フォートナイトも同様です。
元プロゲーマーで現在ストリーマーとして人気を博している「だるまいずごっど」氏の話が有名ですが、彼はフォートナイトのプロゲーマーとして活動していました。
フォートナイトはバトルロワイヤルであり、最後まで生き残った1人が勝利を手にします。
つまり競技の世界では、最後まで長く生き残った選手が多額の賞金を得ることとなり、長く生き残るためには戦術やマップの理解(地形も含めた)ゲームの理解が極めて重要となります。
しかしながら当時のフォートナイトはそのゲーム性の「革新性」を追求するあまり、"あえて"ユーザーに事前に共有することなくゲームに大きなアップデートを加えることが日常茶飯事でした。
何日も何時間も時間を費やして勝利の為に活動するプロゲーマーにとっては、これまでの練習が無駄になってしまうというゲーム性はキャリアの終了を強く決定づける要因となります。
ゲーマーはゲームの「面白さ」が何よりも重要であり、その面白さを感じるための「斬新さ」を求める生き物ですが、その斬新さの為に、これまで費やしてきた「努力」が無駄になってしまうような経験は耐えることが出来ません。
なぜなら、続ける理由を奪われることになるからです。
社会現象を引き起こし、ピークを迎えたゲームは、更なる人気の為に大きな進化を目標にゲームの再開発に取り組みます。
そうした結果、ユーザーが望んでいた「リフォーム」ではなく、ゲームを一新させるという「解体」と「再設計」が企業の優先事項となり、衰退の一途を辿ってしまうのです。
私なりのパルワールドへの結論
パルワールドは強烈に面白く、3日で400万本も売り上げるような社会現象を引き起こすに相応しいゲームであると私は感じています。
そして、1からオリジナルを生んでいないという批判や、ゲームデザインがあまりにもArkと酷似している。キャラクターがポケモンと酷似しすぎているという理由も強く共感できます。
しかしその意見の土俵は「イラスト」であり、「プログラム」でしかありません。
私がプレイしているのは、パルワールドという"ゲーム"に過ぎません。
ポケモンに親近感を感じるから気軽にゲームを始められたし、ゲームデザインがArkだったから何時間もプレイし続けることが出来ています。
パルワールドは全く新しいゲームにも関わらず、初めてプレイするとは思えないゲームですが、これはゲームの「進化」を感じられる貴重なゲームだと強く感じました。
ポケモンもArkもプレイしていたからこそこのゲームの魅力を更に強く感じられることがゲーマーとして嬉しいし、ゲーマーで良かったと思わせてくれるこのゲームが嬉しくてたまりません。
どこかで「なぜ3000円もするゲームがこの時代にこれだけ売れるのか?」という疑問を投げかける投稿がありましたが、それは「3000円を支払えばもうゲームが変化することなく最後を迎えられる」というこの時代にうんざりしたゲーマーのシュプレヒコールにも感じます。
フォートナイトが変化し続けることにうんざりで、妖怪ウォッチのバトルシステムそのものが変化してしまう悲しさ。
モンスターハンターの結末が購入したその1年後になっているのも、パズルを楽しめないパズドラも、うんざりだったんです。
ゲームをいち早くクリアしてクラスの友達に自慢したい。
妖怪ウォッチが大好きだからこそ、フォートナイトが大好きだからこそ、モンスターハンターが大好きだからこそ、その好きをどうにかしてアピールしたい。
ゲーマーのエゴを叶えてくれる一因が、今のゲームには一つ欠けているような気がしました。
パルワールドは自由なオープンワールドのゲームですが、全てのユーザーが目指す最後の終着点が用意されています。
自分がゲーマーであると再確認させてくれたパルワールド。
私は感謝に近い何かをこのゲームに感じています。
めちゃくちゃ面白いので、ぜひ遊んでほしいです。
それだけです。