「eスポーツをオリンピック競技に!」が叶った日。
文章なんてAIに書かせれば十分楽しめるような時代に気がつけばなっていましたが、この日のためにnoteを書いていたのかなと感じざるを得なかったので、今記事を書いています。
https://olympics.com/ja/esports/
eスポーツがオリンピック競技になりました。
夢が叶う瞬間って意外とあっさりで、好きな人と付き合うまでの過程が一番楽しかったという逸話があるのと同じ感覚でしょうか。
今回選ばれたタイトルは以下の通り。
それぞれゲームタイトルがあり、いわゆる一般的なスポーツとして馴染みのあるスポーツが「eタイトル」として採択されたような形となります。
正直これを知った時は嬉しくなかったというか、どこか「やっぱりな」なんて思ってしまうような自分もいました。
このまま話を続ける前に、採択される前、eスポーツはどこを目指していたのか?という部分を話さなければなりません。
日本で唯一上場を果たしたeスポーツ企業であるウェルプレイド・ライゼストは、前身であるウェルプレイドが発足される更に前、創設者である谷田氏と高尾氏は2011年にeスポーツをオリンピック競技にしたいと熱く語り合ったことが企業サイトに記述されており、ウェルプレイドは長くゲームに市民権を持たせることを目標に活動してきました。
少なくとも僕はそれに強く共感していて、ウェルプレイドの人間ではないもののその目標を自分自身も掲げて、出来ることをやってきたつもりではあります。
僕がそれに共感出来た理由は、やっぱりゲームに夢中だった小学校・中学校時代に、ゲーム自身を否定されてきた感覚を強く覚えていたからでした。
ゲームがうまいやつはとんでもなくカッコよくて、なんなら同級生の中ではモンストで5体も運極を持っているやつはヒーローだったし、クラロワに夢中になった高校時代は誇り高き青春です。
でもなぜか、それを評価できるような大人は一人として周りには存在せず、クラロワで推薦をもらえるようなプレイヤーはもちろんいなくて、スポーツを頑張ることだけが評価される環境を不思議に感じていました。
何かに捧げる時間というのは平等で、それが例え野球でも、美術でも音楽でも、或いはゲームだったとしても、その努力を正当に評価出来る人間はどこかにはいて、それを認めてもらうことで自分に自信を持てることだってあります。
しかしゲームは評価されることはなく、どうにかこうにか、ウェルプレイドのような企業や競技活動を行うゲーマーは社会に認めてもらうために様々なアプローチを社会に対して行ってきました。
その中でeスポーツが見つけた勝算こそが、「性別問わず、誰でもどこでも競技を行うことが出来る」という特性だったように感じます。
事実記憶に新しい世界3位という快挙を成し遂げたZETA DIVISIONは日本人で構成されたチームであり、EMEA、NA地域の競合から勝利を獲得しました。
これはeスポーツでしかなし得ない快挙なのではないかと、私は確信しています。
この特性が魅力として証明された今、eスポーツがオリンピック競技に採択される意味は大いにありえます。
それともう一つ、私はeスポーツがオリンピック競技に採択される「意義」について、長く考え続けてきました。
私にとって、ゲームは多様性の象徴です。
少し古いかも知れませんが、ゲーム、アニメはマイノリティに分類される趣味だったのではないかなと思います。
やっぱり趣味として話すにはどこか恥ずかしさがあって、だからこそ好きと話してくれる人には信頼が湧くようなそんな存在だったと思います。
今では立派な趣味として、好きなゲームを会ったこともないどこかのだれかと毎日夜集まって一緒にゲームをしています。
その「どこかの誰か」が、「どこの誰なのか」なんて考えもしないし、同じゲームを仲良く楽しめることが友達の条件です。
その人が何を信仰していて、過去に何を経験していて、誰に何をしてきたかなんて考えもしません。
「そのゲームが好き」なら、ゲーマーは誰とでも仲良くなれます。
それはきっと心のどこかでゲームを否定された過去があって、心のどこかでゲームを好きな仲間を求めていたから、こんな文化が形成されたのだと思います。
だからこそ、eスポーツが採択されるなら、ゲームとしてしか競技が行えないタイトルが一つでも採択されてほしかったと感じざるを得ません。
それは例えばスプラトゥーンで、現実世界でインクを飛ばしまくって、街をインクで染めた総面積で競い合うだなんてゲームでしかできません。
それが例えばVALORANTで、魔法のようなスキルを駆使しながらエリアを確保し、爆弾を設置して爆破させるなんて、これも現実ではできません。
こんな「ゲーム」が一つでも採択されれば、僕は嬉しかったなと思います。
eスポーツがオリンピック競技に採択されたことは、eスポーツの歴史で見れば快挙です。圧倒的な進歩です。
だからこそ、少しでも僕が望むゲームが採択される未来を見てみたいし、そんなゲームが採択されてこそ、はじめて「多様性」の時代を迎えられるのではないかと思います
そんな時代は来るのを待つのではなく、迎えに行くしかないのだと感じた一日でした。