一位にしか価値がない世界と、22歳で競技の世界に挑む意義。
人気漫才コンビである和牛が解散を発表したというニュースを見ました。
和牛はM-1グランプリ3年連続準優勝という輝かしい実績を持ち、賞レース、漫才だけでなくバラエティにも多く出演し活動の場を広く持っており、「成功」を収めた漫才コンビの一つだと思います。
解散の理由としてはボケの水田さんの遅刻が相次いだことで、二人の漫才への姿勢の違いが目立つようになったと話していました。
川西さんは精神的な不調が続いているそうで、「M-1で優勝出来ていない」と口にすることも増えたそうです。
私は男子校出身で、当時クラスメイトにはお笑い好きがとても多く、特に好きでも嫌いでもなかった自分はなんとか会話に混ざりたいと思って、M-1グランプリを見るようになりました。
M-1常連といえば和牛で、霜降り明星が優勝した年も、ミルクボーイが伝説を残した年も、和牛を見ていたと思います。(間違ってるかも)
笑いにとっても詳しいというわけでは全くありませんが、自分の中で「この人たちは優勝しなくても十分成功していて漫才が面白い芸人さんだ」と思っていました。
話は変わりますが、私の姉は弁護士を志していて、毎日必死に勉強を続けています。
良く話すのが、「弁護士は司法試験に受からなければ意味がない」ということ。
司法試験に受からなければ弁護士になる資格を得られず、ずっと夢を追い求めて頑張り続けなければなりません。
それを意識しすぎるあまり、精神的に参ってしまう瞬間が度々あって、その度にそんなことはないと家族で励まし合ったりするのですが、そんな励ましが出来るのは実際に弁護士になっていないからであって、司法試験の合格に何よりも価値を置いているからこそ夢に向かって頑張り続けられるし、そのせいで上手く行かない日々を嘆いてしまいます。
私はその励ましとして、「芸人」を例に上げたことがちょっと前にありました。
「M-1グランプリで優勝した人は凄いけど、優勝した人以外が凄くないわけではないし、優勝できなくても生活できている人はいる」という話をしました。
そしたらカウンターとして「司法試験は受からないと意味がないんや」って言われちゃったんですけど、改めてこのニュースを見て反省した自分がいました。自分は浅はかだと感じました。
いくら称賛されていても、豊かな生活が手に入っても、自分の夢が叶わないと意味がない。
そのために積み上げてきたものがいくつもあって、優勝できない度にその積み上げたものが崩れていく。
夢を追うとは、そういうことなのだと思いました。
私は、今年の4月に給料未払いをきっかけにプロゲーミングチーム「Quintette Shizuoka」のゼネラルマネージャーを辞めました。
生成AIが進化し続ける今に何の価値も無くなってしまったこの文章を自分の強みとして仕事を続け、少しでも好きなことを続けられる人生をと思い、辿り着いた先が地獄でした。
選手の方から給料に関するDMを返信し続ける毎日で、選手の方に申し訳ないと謝り続ける日々。
給料の仕事は自分のやることではなくて、自分に原因があるわけでもないのに、ただただ謝り続けて、同時に自分の50万円近くの給料も支払われない毎日で、精神を酷く悪くしました。
本当はゲームが好きなのに、ゲームを仕事にしたかったのに変に素直になれなくて紆余曲折してきた結果がこれなんだと、とても後悔しました。
そして私は、ゲームが好きだという自分の信念を貫き、そんな自分に嘘は付きたくないと、アマチュアチームで「VALORANT」というゲームで競技活動を行う決心を今年の夏にしました。
「好きなことで生きていく」という信念ではなく、「好きなことをしながら生きていく」という人生の考え方を変えました。
VALORANTというゲームはずっと奥が深くて、1分40秒の一ラウンドの中に多くの心理戦と徹底的に考えられた戦術が交差します。
それは本当に楽しくて、続けられる限り選手をしたいと思っています。
でも、心の底から勝ちたいとは思えていません。
なぜなら、それで生きていこうと思っていないからです。
ただその楽しさを得るためだけに日々練習して、大会を見て、用意された作戦を学んでいます。
時にとても失礼なことをしているなと感じることもあります。
チームの中には朧げではあるけれど微かにプロを目指している人もいるし、真剣に競技に向き合っているメンバー同士で毎日戦っています。
そんな中で僕はプロを目指しているわけではなくて、ただ楽しく競技が続けられたらいいと、真剣に願ってゲームをプレイしています。
それは、自分が追い求めた幸せがその形だったからだと学んだからです。
やりたいことはやりたい。でも、自分だけが幸せならそれで良いというわけでもない。
夢を追う姉を少しでも支援したいし、お金がないという不安を知ってしまったからこそ、貧しい生活に戻りたくないという願いが何よりも強くあります。
中学、高校、大学と積み上げてきて得た新卒を手放す勇気もありません。
自分の中で好きなことを続けることは、最低限の生活の上に成り立つものでした。
幸せの為に生活を捨てられるものと、捨てられないもの。
それこそがプロフェッショナルとそうでない者の違いなのかなと感じたニュースでした。