ジャッジを手放す
今週はnote週間というくらいに 溜まっていたあれこれを放出〈アウトプット〉することに専念できている私です^^ 楽しい~!!!♪
今日は 昨夏、
YORISOIの学びをして得たもの
について書きたいと思います。
(※YORISOIってなんぞや?な方、
一番下にリンク貼っておきます。)
そのうちの大きなひとつが
“ジャッジを手放す”
これ、心理学だとか スピリチュアルというか 自由に生きるための術なのか、高次元に近づく為の術なのか(って心理学も その他あれこれも特別学んできた訳でないのですが💦)
とにかくそっちの方面(どっちだよ、一体何^^;って感じの人もいそうですね💦)とかで よく言われていたりするようなのですが、
ジャッジを手放す。
人って知らず知らずのうちに 何かの物、事、人を 見た聞いた、
あらゆる自分の中に入ってくる情報を 自分の価値観で良くも悪くもジャッジをしているものですよね。
ポジティブな評価ならともかく、
自分の中に留めておくならまだしも その感じたままに 誰かや何かを批判してみたり、攻撃したり、深くも知らないのに勝手に判断してものを言ったり しがちです。
みなさんは自分を振り返ってみてどうですか?
ジャッジしていますか?
私は何を隠そう めちゃめちゃジャッジマンでした💧(womenだけど…)
と言っても 政治だとか社会にだとかにあれこれ言うことはあっても、
相手の立場に立って考えたり、基本的に他者を傷つけたくなかったり、(どんなことでも適切な批判は大事である場合もありますよね。。。)
人並以上に空気を読むタイプなので ジャッジをして対個人への批判や攻撃を口に出すことは ほとんどなかったと思いますが、
他者に対してはそうなのに、身近な人(主に元夫)には なんでもしていいというくらいにめちゃめちゃ これやってたなぁと反省…。
(まぁ向こうもそうでしたが;。 本当近い相手って鏡ですね。 結局お互い様なんですよね。)
口に出すのは身近な相手くらいだとしても、
あの人きっとこういうタイプだよなぁ とか、〇〇はこう、△△はこう、
みたいに日々の中で 人 物 事 に対して あれこれ 結構思ってました。(コワっ! こんなこと公言して友達近づいてこなくなるんじゃ💦💦)
って 人間は いろいろ感じる、感情を味わう生き物なので
外のものに いろんな感情を抱くのは自然なことで、
ジャッジをすること自体はいけないことでもなんでもなく、
それは自然なことで 大概多くの人が そんなもんだと思います。
ただ、誰かの話を聴くことをする、寄り添いをする
そのようなシーンにおいては
ジャッジは その人の価値観で物事を見ることになり、公平に捉えられなくなるので 手放すことが必要とされるのです。
でもこれって、
次に書こうと思う その人そのものを信じる に通じますが、
聴く や 寄り添う ことを仕事にしている人だから
そうするのでなく、日常的にも言える 本来はあるべき姿なのではないでしょうか。
先輩後輩、上司と部下という関係だったり、自分より優れているとされる人、そうでない人、敬われるべき人、そうでない人 という構図は社会の中に 多く存在しています。
確かに 自分より経験が豊富だったり、長けている人に対し、尊敬の念を抱いたり 礼儀正しくあることは 必要であるかもしれませんが、
逆に上に立つ人は だからと言って偉そうに 自分のほうが上だからと 見下すような物言いをしたり、自分より 下と思われる人を(そもそもその下と思う意識も)ぞんざいに扱ったりするのは 違うのではないかな(人と人としての命の重みは変わらず平等だよね)と個人的に思うのです。
(本当に素敵な大物の方は 立場上は自分より下の人をも大切にされていますよね^^)
これ、日頃の私生活の中でも こういった場面に遭遇することは あります。
例えば、
その人より 人生の先輩だったり、ある分野において知識が豊富である方が、
その相手のことをよく知りもしなかったり、話をよく聴いた訳ではないのに、あからさまに上から目線で ものを言っているようなシーン って結構あると思いませんか?
自分がその 受動する側の立場だと なんだか なんともいえない もやっとした気持ちになります。
もちろん よかれと思って言ってくださっている方のアドバイスを、
反発せずに とりあえず受け止める、聴き入れる 精神も大事かとも思いますが、
ジャッジをしない(してしまうのは自然なことだけど それに気づきフラットにものをみるといったほうが正しいかな)、対等に聴く
これを YORISOIの学び を通して意識するようになったら
そんなシーンに出くわす度に、
“ジャッジをするのは自由だけれど、
みんな 相手に対し、同じ目線で ものを言えるといいのにな”
と思うことが あります。
産前産後YORISOISHIになる為に、
YORISOISHIとして お志事をしていく為に、
日々の中での 自分の中のジャッジに 気づく→手放す 気づく→手放す と
訓練をし、 人 物 事 をフラットな目線でみる が癖づいてきましたが、
もはやこれはお志事の為だけでなく、自分の為にも日常的になりました。
それは
誰かに対しジャッジしている人は 自分も誰かにジャッジされるし、
他者の何かに対しジャッジしている人は 自分の何かも他者にジャッジされるから。
鏡の法則的な要素も入ってきましたが、
次のその人そのものを信じるにも通じるところもまたありますが、
2019→2020年の 自分の人生の集大成のような大きな変化の中で、
どんどん どんどん 今までの 凝り固まった価値観や 自分の中の枠が取っ払われ、この1年ちょっとで だいぶまた自分の許容範囲が拡がったなと感じています。
ということで、
志事上というところもありますが、
何よりも自分がジャッジされて扱われているな という時やっぱり心地良くないな と身を持って体感もしてきたので、
私は まず自分から 公私関係なく、人と向き合う時には ジャッジを手放して 関わっていきたいなと思います。
(なんて公言しておきながらも 関わる方に 何か感じさせてしまうものが もしあったら ごめんなさい。
私は 包み隠さず 本音で 風通しの良い関係を望んでおりますので、なんでも御指摘くださいな^^)
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