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団地のふたり/藤野千夜〜読書感想文〜
みなさんは、隣の家にどんな人が住んでいるか知っていますか。
顔や名前がすぐに思いだせるでしょうか。
私は全然思い出せない。というか、知らない。生活リズムが違うのであまり会わないし、表札も出てないので、名前すら分からない。見かけたら「こんにちは〜」ぐらい声をかけるけど、じっくり顔を見ているわけではないので、道端ですれ違っても気づかないだろう。
『団地のふたり』を読んでまず思ったのが、近所の人との会話多っ!!だった。
団地という空間がそうさせているのかもしれないが、ご近所付き合いの距離感が異様に近いのだ。「網戸壊れたから、ちょっと直しに来て」とか、「デパート行くなら、ついでこれも買って来て」とか、いやいや、親友レベルじゃないと私なら頼まないよ!ということを、当たり前のように近所の人にお願いされるのだ。
私だったらどうだろう。面倒くさいと思うのかな。でも、周りの人と気軽に会話したり、頼み事をしたりできる関係性は、少し羨ましい気もするのだった。
話は50代未婚の女性、2人の同級生を中心に回っていく。たまに来るイラストレーターの仕事をしながら、メルカリで物を売ったりして細々と暮らす奈津子の家に、かなり頻繁に幼馴染の同級生ノエチが遊びに来るのだ。
奈津子は、通販で野菜のセットが月1で届けられるコースを定期購入している。1人では消費しきれないので、ご飯を食べにノエチがやってくるのだ。もちろんそれだけの目的ではなく、一緒に録画したテレビを見たり、映画を見たり、お菓子を食べながらだらだら過ごしたりするのだ。
毎日のように友達が遊びにくるなんて、もう小学生の放課後じゃん!! 仕事をしている大人が、こんなふうに毎日遊んだりできるなんて、いいな〜としみじみ思った。
たまに原因不明のケンカをしたりするけど、数日立ったら、またふらっと何もなかったような涼しい顔で、奈津子の家に現れるノエチ。家族の仲直りの仕方じゃん。流石にこんなふうに仲直りできるのは、私は妹ぐらいしかいない。というか、そもそも友達とケンカしないしな……。いいな、ケンカできるぐらい自分の不機嫌さを表に出せて。しかもすぐに仲直りできる、そんな友達がいて。あ〜、私もケンカしてぇ〜。(したくない)
別にバリバリキャリアウーマンでもなく、お金持ちでもなく、そこそこ質素な暮らしをしているふたり。でもたまにメルカリで楽譜がたくさん売れたり、臨時収入が入るとちょっと贅沢したりする、この生活感が愛しい。大晦日に、半額に値引きされたカニを買ってるのとか、超良い。そしてお正月はふたりでこたつに入ってゴロゴロテレビを見るのだ。
これが恋人や家族だったら、また違う風に映るのかもしれない。カニを食べる準備全然手伝わないの、マジで何なん!?とか。でも友達という関係でこの距離感でいられることに、ものすごく魅力があるのだ。
気を使わない友人がしょっちゅう遊びに来たり、近所の人と立ち話したり、出来事としては些細な日常だけれど、でもこの関係性を作るのは一筋縄じゃいかない。本当に難しいことだ。相手の嫌な部分も、いい部分も知った上で、一緒にいたいという関係。血縁関係もなしに。近所の人に話しかけられるだけで緊張する私にとって、この団地の空気感は憧れる。でも実際住んだら馴染めなそう。人の家に上がるの気まずいし、網戸の張り替えも断りそう。
でも、自分が50代になったら、頻繁に遊びに来てくれる友達がいたらいいな。2人の平凡な生活を、終始憧れの思いを向けて読んだ。こういう風になりたい。天海祐希になりたいのと同じぐらい憧れている。
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