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踏み出した一歩が、今の自分を生みだしたのだ。

ほどよく生きたい。

でも、社会に出るとそれがどれほど難しいのかを痛感する。

そもそも私たち人間は、過去と未来をつなぐ一部分でしかない。

大好きな舞台『1789 -バスティーユの恋人たち-』の主人公であるロナン・マズリエの言葉に「俺の存在は大海の藻屑に過ぎないかもしれない。だが、俺たちの進む道は、明日のフランスを救う。そう信じているんだ。」という言葉がある。

彼の言葉にまったくもって同感である。

けれども時たま、この言葉がこの社会を支配する者たちによって都合よく使われていると感じることがある。

地球の一部として生きることが、一体全体こんなにも難しいことなのだろうか?

けれどもこの疑問を持てるようになったのは、この資本社会のおかげであることも、また否めない。

24時間自由に生きられることはとても幸せだった。
でも、「地球の一部分としてわたしは何ができているのか?」そう考えると、その幸せから無念が溢れでた。

1日のほとんどを仕事で拘束されるようになると、地球の一部分であることを実感する暇がなくなった。ただただ暗闇に包まれた。
けれども、月に一度、お金を手にするたびに、少しだけ喜びを感じてしまうのには困ったものだ。


この世界で生きていくことは、とてもハードである。わたしは大海の藻屑に過ぎないのに。

今わたしが見ている世界は、この資本社会に戻ってきたからこそ目の前に出現した現実なんだと思う。

あの時の踏み出した一歩が、今のわたしを生みだした。

それは一見、ネガティヴなようで、ポジティブにも捉えられると感じている。

つらい気持ちと、次の一歩を考えるきっかけをくれたことへの感謝の気持ちが同棲しているからだ。

気づけばあっという間に3月が終わろうとしている。
外はだんだんと暖かくなり、桜の花が咲きはじめた。

春を感じられることがとても嬉しい。
この気持ちが一番大切な気がしている。

一瞬一瞬を尊く感じられる自分の心を大事にしようと心に誓った。

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