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ダンスは仕事なのか? 仕事の定義や報酬について。(旅先雑感)

先週末、コロナ緩和に乗じて週末旅行に行ってきました。友達家族と共に。

そこでの1コマ。

3歳になったばかりの娘が友達とままごと遊びをしてる最中、「私はお仕事なの。ダンスしてるの。」と言ったのを聞いた企業勤めのママ友がびっくりしていた。

やっぱり仕事とダンスは通常結び付きにくいんだなあ(ヨーロッパ人でも)。 娘にとっては生後2ヶ月から劇場やパフォーマンス、リハの現場に出入りしてるので自然な発言。世間の自然と彼女の自然の圧倒的ギャップに改めて気づかされた瞬間だった。

仕事=お金稼ぎと定義するならば19歳のときが一番ダンスで稼いでた。それでも私はこれまでダンスで個人的にお金を稼ごうと思ったことが残念なくらいない。(助成金という形なら少しはいただいているけれど。)まあだから世間的には成功してない論理だけど、むしろ東京時代は社会貢献事業のつもりだった汗。青い上に恩着せがましいw。

話戻って旅先の農場で、イチゴ収穫の出稼ぎ労働者(主に東欧人)が家畜だか機械の部品のような扱いの中せっせと働いてるのを見て、夫と心を傷めた。

東京の工場で日雇い単純労働をした経験が思い出された。名前も聞かない、聞かれない一期一会(というと心象悪くないね)の仕事。私は一時期限定だったからいい社会科見学だったと言えるけど、あれで生計立ててた60近いおじさんもいたし、コロナでそういう人は一層も二層も増えてるだろう。

とはいえ余裕のある日本人はもはやコンビニや飲食店で働きたがらず、東南アジアやインドネパール出身者が近年がつっと増えたけどドイツも同じで、ドカタ系や介護、農場は移民や出稼ぎ労働者で賄ってる。素人の私は給料あげた方が早いだろうと思ってしまう。コンビニやイチゴ収穫で時給3000円近くもらえるならドイツ人も日本人も誰だってやりたがるはず。

EUの理念ってなんだろうと一抹思う。搾取構造そのものを強化し固定するシステム。ヨーロッパ東西を旅すると、こんなにも経済力も文化力も人口も気候も異なる国々が共通通貨を使うことへの驚きと無茶ぶり感を禁じ得ない。自由と平等は両立しないことがはっきりわかっちゃったら次はどうする?

使い道もないほど金が有り余り、カネでカネを産み続けるだけの人も世の中たくさんいる。それが税金できちんと再分配されるなら文句はないけど大概パナマとかスイスとかシンガポールに逃げちゃう。トマピケティが資本主義の絶対真理を証明したところで特に流れが変わる気配はない。その点では皮肉にもコロナが救世主に見えてしまうけどそうでもなさそう。最後にハンドル握るのはやっぱり人間。

夫が仕事とは何か、それが問題だとハムレットの名台詞のように言ったので吹いたw。

それならばうちの娘が私の年齢になる2050年頃は、ダンサーやイチゴ収穫者も月給40万くらいもらえる世の中になっているといいなと思う。ベーシックインカム含めて。

そのために私はいい作品やダンスを産み続けることしか今はできない。ダンスが世間一般にも仕事と認められ相応の報酬がついてくる日を信じて。

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